バンカーから直接放り込んでのバーディ

2018年06月30日
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日々の雑感ーリタイアライフ







森の中をジョギング&ウォーキング。ただ自然の中を歩くのではなく、歩いて行くとポツポツと家があったり店があったりレストランがあったり、それをウォッチングしながらのウォーキングは人を飽きさせない。家や店を見るのが楽しいならさいたまでも東京でも街中を走ればいいだろうとは行かない。この自然とのバランスが大切なのであろう。

児童養護施設の子どもから連絡があった。LINEが来て私と話したいと言う。その子はもともととても賢い子で中学の時に大学に行ってエンジニアになりたいと言っていたが、わたしが退職した後だいぶ雲行きが変わったらしく、高校をドロップアウト。今は児童養護施設を出て自立援助ホーム。中卒でハローワーク通いだそうだ。もう進学の目はないと聞いている。

電話がかかってきて彼と30分ほど話した。中身は近況の確認と他愛のない雑談。それで多少気晴らしにはなったようだ。その子はまだ仕事はしていない。働き出したらまた連絡すると言って電話を終えた。気晴らしになるのであればお相手するのは構わない。なにか相談があれば一緒に考えても良い。

でも自分の人生だから自分で好きにすれば良いだろう。本人が好ましいと思うか思わないかは別として、すでに彼の人生は自分が選択した方向で進み出している。後2ー3年もすれば、完全に誰も彼にとやかく言わなくなる。と言うかそういう人間がそばにいなくなる。良いも悪いもない。当たり前のことでもある。

言い訳もできなくなり、そして言い訳する相手もいなくなる。誰も自分のことなどわかってくれない、などと言っていられるのも誰かがそばにいるからである。わたしは彼の愚痴を聞く気もないし、具体的に何かして差し上げるつもりはない。ただの知り合い友人として普通に応じるだけである。それでもいないよりはましだろう。

福祉の世界で多用される言葉に、「寄り添う」という言葉がある。困った人障害がある人恵まれない環境にある子供たち、寄り添うことがまず一歩だと言う。だが寄り添うなどと簡単に言うが、中途半端にしかできない人間がほとんどである。

わたしが働いていた児童養護施設でも、寄り添える職員はほんの僅か、だいたい園長が全く寄り添うということがわかっていない。だがそれも仕方ないとも言える。誰も自分の生活があるし、知らない環境にある人の立場を思いやるなど本当の意味でできっこないのである。このできっこないという感覚も実は大切なんだけど、福祉の世界でこれを意識している人はほとんどいない。担当する子どものことは自分が誰よりよくわかっていると思い込んでいる職員ばかりであった。

ところで昨日人生初の経験をした。背丈ほどのバンカーからフワリと浮き上がったボールはピンから1メートルほどに落ちて、すっと止まると見えたが、最後コロリのカプイン。バンカーからバーディである。ボールの飛び方と言い入り方といい、アマチュア離れしていて同伴者からおおーという歓声が上がる。最近バンカーからのパーセーブがちょくちょくあるのでいずれとは思っていたがその日が来た。こうなるとますますバンカーが好きになるね。
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