そうなりたしを実現するということ

2018年05月16日
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人生の考え方


若かりし頃の茂子さん。と言っても40代前半かな? 大きな病院の病棟婦長まで務めたバリバリのキャリアウーマンで婚期を逃していたが、なんの甲斐性もないわたしの親父と知人の紹介で知り合い結婚した。茂子さんがなんでわたしの親父を気に入り結婚したのか? 聞きそびれてしまった。茂子さんが鬼籍に入った今となって知る由も無い。

わたしの親父は茂子さんに食わせてもらっていた。結婚した当初は仕事を辞めた茂子さんだが親父があかんと悟ると、自分で救命救急センターに応募して働き出した。そして親父は茂子さんの送迎運転手を長らく務めた。ということで親父は茂子さんの送迎以外は毎日清水の埠頭で釣りをして過ごす。40台半ばから死ぬまで、親父は言うなら遊んで暮らしていた。

遊んで暮らすというのが多くの人の理想かどうか知らないが、労働者としてこきつかわれるよりはずっとましな存在だとがたぶん誰もが思うだろう。夢と言ってもいい。その夢を親父はまんまと実現した。茂子さんには頭が上がらなかったわたしの親父だが、それでも夫婦だから、会社の上下関係よりはまだストレスもない。体を合わせればそこは男女だったんだろう。

わたしの親父の人生を良し悪し云々するもいいが遊んで暮らすという人生を手に入れたのは厳然たる事実である。そしてさほど不愉快な思いをしている様子もない。であるなら、不本意で不愉快なことをしながら、かと言って遊んで暮らすこともできない多くの人たちとどう比較すればいいのか?

わたしはわたしの親父とまったく違う方法で遊んで暮らす身分を得たが、さてそうなってみるとわたしと親父とどれほどの差があるのだろうか? 言うならどうでもいいような気もする。そうなりたいと思うことを実現したという意味では同じとも言えるからである。ただプロセスにおける自己満足というか納得という意味ではわたしの方がはるかに上だろうけどね。

逆に言うなら、不愉快で不本意なことをしながら、そうなりたしと思うことを実現できないのはなんとも中途半端としか言いようがない。それが多くの人である。いっそ好き勝手やってそうなりたしを実現できない方がまだ潔いかもしれないが、それが怖いから頭を下げて一生生きていく。

茂子さんの法要納骨、お墓の名義変更わりと手間取る。マンションの売却手続きもある。賃貸で借りるリゾートマンションの手続きもある。新生活でいろいろ準備もある。アルバイトする乗馬クラブの段取りもある。60歳になることで企業年金、確定拠出年金の手続きもある。老人ホームの退去トラブルの法的手続きもある。車の購入に関する手続きもある。毎日たくさん電話が入りまた電話もしている。

仕事をしていると毎日たくさんの電話をするけど、プライベートではそんなに電話は入らないでしょ? 仕事を離れれば、それが自分の世界だということだね。わたしはかなり幸せなほうだろう。

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