競輪も株ももうやらないのか?
2018年04月28日
株と競輪と並べて書いたけど止めた時期もそして理由も違う。ただ共通点はあって自分にとって必要かてのとそして自分がそこで強者でいられるのか、という観点かな。
競輪を止めた理由はある程度のめり込んだけど、やはり競輪で家は建たないなと思ったことがひとつ。胴元があまりに取るゲームである。そしてゲームそのものの変化というのも大きい。わたしがやっていた当時の競輪は選手間の個別のつながりとか情実が勝敗に色濃く反映されていた。その情実を読むゲームとも言えた。ただそれも時代の変化に従って個人個人勝手にやるゲームに変化していった。わたしのやり方も修正をしないければいけないわけだが、それは簡単なことではない。
加えて言うと、さらに大きな環境変化がある。車券のシステムそのものが変わってしまい、三連単とかの複雑な車券が現れ素人はそれに飛びつく。どうせ負けるのだから一発あったほうがおもしろい。より宝くじに近いゲームになった。宝くじのプロというのはさすがに聞かない。
事ほど左様にギャンブルはあくまでも人間がゲームとして作ったものだからいかようにも変わる可能性がある。株の場合はギャンブルのように閉じられたゲームではないので競輪ほど勝手に変えることはできないかもしれないけど、それでも変わる要素は大いにある。取引環境とか税制もずいぶん変わってきている。今後多くの個人投資家には大きな影響はないか好ましいい変化でも(どうせ負けているから)、今勝ってる人間に大きな打撃を与える変化が起きる可能性はある。いやもう起きているのかもしれない。
個人の都合というのもある。競輪で勝ち続けるためにはほぼ毎日研究して足を現場に運ぶ必要がある。それができない状況とかあるいはやりたくないと自分で思うならそれは勝てなくなるから止めるしかない。株で言うならわたしは業界のマーケティングの専門家であったから、素人が簡単にはアクセスできない情報をもとに判断していた。言うなら合法的なインサイダー情報。(会社のインサイダーでなく業界のインサイダー)。そこからの判断は難しかったけどそれが全くなしなら今のわたしはない。業界を離れた今はわたしは情報は入手はしようと思えばできるけど、手間とコストが見合わない。
専門としていた業界の変化というの大きい。自動車業界はわたしがいた20数年、安全、環境、燃費をテーマに多くの規制が車に課されてそれが変わっていくと時代であった。規制をクリアするために、それはいろんな技術が導入されそこで業界内の浮沈が繰り返された。わたしはその時代に乗ったわけだ。今の自動車業界はその技術的優勝劣敗が一段落しているから、わたしがかつてのようにしていた大化け株を探すのは困難であろう。
株とかで勝つには、自分の才能とかあるいは強いメンタルとか、そういうことを言う人もいるけど、自分は才能があるとか、メンタルが強いと思うのはむしろ危ないとわたしは思うね。あまり自分を買い被らないことなんだけど、それは自信がないというのとはまた意味が違う。自分ができることを当たり前のようにこなすと他人からは自信があるように見えるってのはあると思う。
できないことはやらない。難しいこともやらない。できることは迷いなく行動する。その積み重ねってことかと。
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