楽しく生きるのは悪かい?

2018年04月22日
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日々の雑感ーリタイアライフ
田舎に住む友人から電話があった。義理の母親(カミさんの母親)の件でほとほと参ってると。その母親は重度の認知症だが体は元気である。これは非常にたちが悪い。
一見元気でまともに見えるがやることはトラブル続き、徘徊したり家の中を滅茶苦茶にしたり。わたしが聞いていると対応できる施設に入れるしかないと思われるが、田舎では親を施設に入れるのは悪である。近所であの家は親を見捨てたと揶揄する。親が出た家を子供が貸したり住もうものなら、親を追い出して金儲けに走ったと噂する。その近所の目が怖くて施設に入れられないそうである。実際自分自身も親を施設に入れることには後ろめたさも感じている。自分のことに身を置けば、やはり施設には行きたくない。その理由は施設が快適でないからではない。子供から見捨てられたと近所から笑われたくないという思いである。日本人は他人の心の痛みに鈍感である。なぜならみんなこらえて耐えるのが当然であると考える風潮がある。人生というのはみんな大変な思いで我慢して生きるものだと、これが日本人の人生観である。楽しく生きる、楽して生きるのは悪だという思い込みがある。平たく言えば妬みの文化である。

茂子さんはだいぶ弱ってきている。那須にいたら意識が朦朧として危ないというのでそれでわたしは全て予定をキャンセルして埼玉に戻った。駆けつけたわたしの顔をみるとシゲちゃんの表情はパッと変わる。そして応答が明らかによくなる。シゲちゃんはわたしのことが大好きなんである。しみちゃんもわたしのことが好きだったがシゲちゃんはそれ以上。わたしに会えると思うと生きている気持ちが出て来るみたい。ということ毎日シゲちゃんのところに通うことにした。朝一番で行って10時間ほどしげちゃんの側で座る。シゲちゃんは寝ていることも多いがたまに目を開ける。その時にわたしがいると大喜びである。そして少し話す。事情を知らない施設の人たちは連日通うわたしを優しい息子さんだと思っているらしが、実はわたしは他人である。でもそれでいいとわたしは思うし良い気分でもある。少なくとも非難したり揶揄したりする人間がいないだけわたしは田舎に住む友人より幸せである。ハルトモは他人をなんであんな扱いをするのだと非難する人間はさすがに田舎にも都会にもいないのである。誰にもできないことをするというのは気分がよい。たくさん親戚がいたシゲちゃんだが今は誰も来ない。そして身内を差し置いてシゲちゃんはわたしが大好き。ハルトモは大人は苦手だが子供と年寄りにはずいぶん人気があるんだよね。
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