手取り>年収
2018年02月25日
確定申告がほぼまとめ終わった。今回の申告での納税額を見て目が点になった。少なくて。驚くべきことだがこれで正しい計算になる。昨年は医療費控除と寄付控除が割と大きかった。そして失業保険は無税だから申告しなくてよいので昨年は年収より手取りが多いという状態になった。所有するマンションのうちの一軒に母が住むことになってそれが収入減になっている。それでもどうということはない。稼がずゆとりある暮らしと数年前から言っていることを本当に実現してしまった。有言実行である。
今年もしも不動産を売却するとまたけっこう納税しないといけない。それがあまり気分がよくない。その意味では貸し続けておくほうが税金は払わなくてもいいと思ったんだけど、保有していればずっと固定資産税を払わないといけない。どっちにせよ税金は逃れられないのだから売ってしまうかと思うようになっている。
不動産売却は二つの業者に出すつもりでいる。管理でつきあいのある不動産屋は売る力はないと思うので出さない。売却するならそこに本当に住みたいという人に売る作戦だ。学区とか周辺環境の良さをよく理解している人に売りたい。その地域はそれほど出物がないのでそういう人がいて気にいってもらえれば売れる。もしもその人にわたしが好感を持って予算が足りなくて困っているなら値引きしてあげてもいい。値引いてくれとか、この値段なら買うという言う人間には売らない。こっちは十分儲かっているんだからいくらか積み増すより気分良く売りたい。そうすればそこに住む人の幸せそうな生活をたまたま通りがかったりしたら思い浮かべることができるという特典がつく。
損得というものは大切だが、その損得には自分の気分の良さとかあるいは嫌気がさすとか、自分が納得するとか、自分で自分が気にいるとか気に入らないとか。そういう自分自身の内的な思考が含まれるべきということを知らない人が多すぎる。自分の人生、結局目に見える損得勘定で得たものは墓場には持っていけないのである。
サラリーマンの時によく言われた。なぜわざわざ損をするのか? もっと賢く生きたらどうだ? 結論はわたしは十分得をしていて、そしてわたしの方がそんなこと言う人間よりずっと賢い。見ているところが全然違うのである。彼らは自分が大切に抱えているものが石ころかもしれないと疑いも持たない。では目に見える損得はどうでも良いかと言うと、ここで書いている暮らし向きに困らないくらいにはちゃんとなる。そこは軽いゲームである。
人生というのは生きているということが唯一間違いのないことで、それ以外はすべてゲームと言っていい。わたしの言葉ではないが激しくシンクロする言葉である。であるなら生きるという質を高める。生きていると思える瞬間時間を積み重ねる。そこが人生で最も肝要だと畢竟そういう答えになるしかない。
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