ハルトモで20年近い
2018年02月19日
最近はガラケーして持ってなかった友人もスマホが増えてきてそれでラインとかに友達リストで名前がふっと現れてくることも多くなっている。それでSNSでいろいろやり取りをしているんだけど、SNSの特徴はグループトークと言って同時に複数の人間がやり取りをすることにあって、それでテンポが速くてどんどん流れていくから、ここについていけないってのと同時に違和感を感じる人間がわたしの同世代にはけっこう多いようである。
昔の人は(若い人でもか)「ここであいつがこう言うとはどういう意味だ?」とか、「あの言い方は何だ」とか、深く裏を考えてしまう。だけど使いこなしていこうと思えば、短い文章で伝えたいことを明快に書くのが当然になってきて、それもたくさんの人間が同時に読むとなればそこで多少の誤解はあるのもあたり前。
便利に使うためにはSNSという道具の足りない点を参加する各人がうまくショックアブソーブしてやらないといけない。それがうまくできないとかえって不都合ばかりが目についてやりたくなくなるってケースも多いと思う。慣れと言えばいいのかしれない。やり方はいろいろであろう。基本は道具に不備があって自分と相手の真意もしばしばうまく伝わらないものでそれを補おうという気持ちだと思う。
ネット社会でも楽しく有意義にやるにはやはりコツというのはあると思う。本名ではない名前でやり取りをすることが圧倒的に多いのだけど、それがいろいろトラブルの元になる。いくらハンドルネームとか匿名でもやはり人間がやり取りをしている以上は、人間としての礼節とかわきまえるのは当然のことで、もしもネット上で自分が実生活では取らないような態度を取っている人は多分有意義なコミュニケーションは難しいと思う。捨てハンドルネームでいきなり人を罵っても、多分本人は正義感のつもりかあるいは憂さ晴らしかはどっちにしても、不愉快な思いがお互い残るだけである。実生活ではそんなことしないでしょ? たとえば居酒屋とか電車で誰かが喋ってるのを聞いて、いきなり知らない奴に、おまえは嘘つきだろう? なんて誰が言う?本性を晒してできないことはネットでもやらない方が良い。弱い人間が自分の姿を隠して人をとやかく言っているように見えてとても格好悪い。
ネット上言いながら固定したハンドルネームで誰が誰だとわかるというのはとてもネット上のやり取りを有意義にすると思う。どこの誰だか知らない人間には誰だってそれなりの応答しかしないものである。
わたしの場合で言うとこういうネット上やりとりは長い。始めたころはパソコン通信とか言っていて、ニフティーサーブとか、遅いモデムでやりとりしたものである。その後Windows95が出てきたあたりからだと思うけどだいぶ様変わりして今のスタイルに近くなった。最初は旅行関係のホームページや掲示板で情報収集が多かった。実は株式投資の掲示板もけっこう読んでいた。今より昔の方がすぐに喧嘩になってその意味では見物していて面白かった。
ブログが出てきて発信はずいぶん楽になった。もう長いことハルトモという名前でやっているし、わたしと実生活でも知り合いでブログも知っていると言う人は数えたことはないけど100人は下らないと思う。だから責任を持って発言するとまでは言わないけど、やはり自分が書きたいことを書いている。誰に読まれても良いようにも書いている。ただ読んでどう思うかは読者のご自由である。あくまでも文章であり、別に人間ハルトモの全てをここで開陳しているわけでもない。仮にウソだろうと言われてもそもそもここで真実を書く義務は私にはない。調子に乗るなと言われても何が本調子だか知らないけど言われて変える筋合いもない。
多分ネット上では一生ハルトモで行くと思う。本名と変わらないくらい自分の名前と言う気がしていて、街中で誰かがハルトモさーんて読んだらわたしは振り返るだろうね。それが通りすがりだとか読めないようなハンドルネームじゃあね、それなりなんだろうなって、そういうこと。わたしの文章を読んで失礼な奴だとかお怒りを感じる人もいるかもしれない。だが少なくとも言えることは本当の私はもっと失礼で頭にくる人間で、私を良く知る読者はこの2行でさぞかし大きくうなづいていることだろう。ネットではむしろ大人しいくらいである。
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