投資と感受性ーグラフ書きについて想像してみる
他人の失敗を自分の失敗と同程度まで行かなくてもかなり近い物にできれば他者の失敗から学ぶことができるということで、それを簡単に賢者と言ってしまうと話はできる人できない人で終わってしまう。わたしは賢者というのではなく感受性と人間観察力の差ではないかと思っている。感受性が高ければ相手の痛みも自分の痛みと比べて容易に想像ができる。ただ痛いのが想像できてもどうしてそうなったかをよく見ていないと学ぶことができない。ただ人をよく見るというのもやはり感受性の高さからくると思われるので主は感受性で良いのかもしれない。
感受性は人それぞれが持ってるものでもう大人になると高まったりすることはないようである。投資をするから感受性を高めようとはたぶんいかない。ただ自分の持っている感受性を研ぎ澄ますことは可能かもしれない。
ネット上で相場師の方々とやりとりをする機会を得ているけど、彼らは過去の値動きを手書きしてグラフにするそうである。パソコンで簡単に出せるものをわざわざ莫大な時間と手間をかけて手書きする。過去の取引というのはつまり歴史であり、先人の成功と失敗の積み重ねである。財をなしたものもいるが破産して身を持ち崩した人間もたくさんいる。その記録をひたすら手書きする意味というのは、これはひょっとして、自分の感受性を研ぎ澄ませているのではないか?過去の値動きに無意識に共感するプロセスと言ってもいいのかもしれない。そして歴史と現実の狭間である種の感覚が沸き起こった時に勝負をしている。わたしはそんな想像をしている。
グラフを書いても必ず成功するどころか、ほとんどの人は勝てないようである。これも感受性という言葉で得心がいく気がわたしはする。そもそも感受性がある程度高くないといくらグラフを書いても感じるべきものを感じない。いずれにせよ感受性が研ぎ澄まされないならたぶん意味のない作業になる。過去の値動きから将来が予測できるのなら(できないが)たぶん手書きする意味はない。歴史から先人の息遣いを学び、そしてそこで今現在の欲の皮の張った投資家の息遣い心の動きに思いをはせるというよりなにか感じる。それがシンクロすれば、、そういうことなんじゃないかなって相場師さん達の書いているものを読んでわたしはわたしなりに感じている。
感受性という得体のしれないものが勝負にかかわっているとしたら、これはやっかいで、また想像することも多くなるが、今日のところはここまで。
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