論理と感性

2018年02月01日
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株式投資
投資のブログとかサイトはたくさんあるけどネット上でやりとりしていることだから嘘とか誇張が多いのは当然だとはわたしも思う。それから今はたしかに本当に儲けてるんだろうけどいつ消えるかわからないなって感じる人もいる。

基本的にわたしは滅多なことではネットで人に近づかない。儲けているのが本物と言うより、それは当然としてそのやさぐれぶりが本物と感じる人くらいしかやりとりをしない。12年もブログをやっていて片手で余るくらい。12年もやってりゃほとんど消えていなくなるし。

これは理屈じゃないし実際儲かってるかどうかでもない。まあ稼いではいるようだけどなんとなくだね。わたしが投資関連のブログを読んでいるのは別に勉強をしたり勝つための情報を探しているわけじゃあない。人間ウォッチングが楽しみで、言うなら自分のブログのヒントくらい。そのブログだって遊びで金儲けの要素は全くない。

だから書いている内容の理論的優位性なんてのは興味ないしわかろうとも思わない。まあ日本語だから書いてあることは読むけど、そんなもんかねーとしか思わない。まあ自分がやって上手くいくとは思わないな。真似をしようとかは全く思わない。

やたら詳しくて弁が立つと言うか、論理的な人間というのも結構いるなと思う。到底わたしなんかじゃ歯が立たない。ただこれは競輪でも同じだったんだけど、論理で自分が正しいと相手を説得しようとしたり打ち負かそうという人でそれで相当の勝ちを得る人というのはわたしは見たことない。多分いないんじゃないかな。だって聞く気があるなら話してもいいけど、意見が違うとか言ってるんだったら話す意味ないよね。だって正しければ勝つだろう。(正しいという言葉は好きじゃないけど)それ以上何がいるかで人様に認めてもらう必要はない。

ハルトモなんて12年もいろいろ言いたい放題書いているけど、読者もけっこういるけど、なんで読むかって言うと、「あいつ今日はまた何をほざいているのか?」ってとこで、それで失笑して終わりでしょ。もちろん誰も真似しようなんて思わない。だいたいわたしの文章はたぶん読みやすいんだけど、読み終わって、はて?何を言ってるんだか、実はよくわからないのね。

これは仕事をやっていても同じで会議室でわたしの視点はユニークで斬新な切り口でそれでディスカッションをリードする。会議でいろいろ決まっていくんだけど、それで皆んな後から思うのね。はてハルトモはいろいろ言っていたけど、なんでこう決まったんだっけ? なんだかよくわからない。

多くの人は自分で思っていることを言葉に変えようとしますね。それで自分の考えがどれだけ表現できるか、その道具が言葉だと思っている。わたしはそうは思っていない。思っていることを表現するんじゃなくて、言葉は言葉でそこでその人にどう響くかって考えている。もちろんどう響いてもいいって領域も多い。ただ響いた結果でまた言うことも変える。考えの表現というと静的でいつでも同じことを言うことになるけど、むしろ動的で言葉はエネルギーだと思っているから言っていることは一定しない。

じゃあ自分に軸はないのかと言うとそれは立派にある。たぶんかなり立派。ただそれは感性とかに近い。ああ美しいなあとか、格好いいなあとか、それは見っともないだろうとか、その後に損得とか理屈が来る。つまり理屈は感性を説明するためにある。ただ感性が間違えなけれ理屈は絶対間違えないから、いろんな視点で自由に理屈を組み立てても大丈夫って確信がある。じゃあお前の感性はそんなに立派なのか? と聞かれれば胸を張って言えますね。わたしのオツムよりははるかに信頼できますと。一時はいろいろあっても結果を見ていくとほとんど間違えてないですよ。だいたいですよ、皆さんそんなに頭いいですか? 頭が良ければ投資だってもっと儲かって、それこそヒーヒーと働きづくめにはならないでしょうに。
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