子どもの瞳は夢で輝く

2018年01月30日
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人生の考え方
本物の伊達直人ならランドセルは贈らないと以前このブログで書いたことがありますが、その話を元にさらに詳しくまとめておこうという気になりました。長文でかつ完全版ではありませんがひとまず最後までお付き合いいただければ幸いです。 ハルトモ

「子どもの瞳は夢で輝く」
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児童養護施設への寄付と言うと伊達直人を名乗りランドセルを贈る話がたびたびニュースで報道されます。伊達直人いうのは年齢50代以上でしたらよくご存知かと思いますが、梶原一騎原作の劇画タイガーマスクの主人公です。伊達直人は今でいうところの児童養護施設出身。タイガーマスクの名で覆面レスラーとして活躍する一方で児童養護施設にプレゼントを持ってたびたび慰問に訪れます。

その伊達直人を名乗ってランドセルを贈る。とても良い話に聞こえます。謂わゆる美談。では伊達直人さんから贈られたランドセルを使う子どもたちはどう思っているのでしょうか? それが一番大切なことなのですが、その点を報道する側も贈る側もあまり気にされている様子が見えません。もらえば喜ぶと決めてかかっているかもしれません。

わたしは児童養護施設で暮らした経験も働いた経験も両方ありますからよく現場がわかります。恐縮ですけどはっきり申し上げましょう。子どもたちはひとつも喜んでいません。理由は簡単です。ランドセルなどの学業に必要なものは寄付がなくても児童養護施設の公費で賄われるのです。また古くから定期的にランドセルを贈ってくださる団体もいくつもあります。つまり寄付で贈ると公費が浮くだけで、寄付が来ようが来まいが必ず買ってもらえます。

たぶん贈る人たちは子供の喜ぶ姿をイメージして直接使える物を贈っているのだと思います。でなきゃお金を寄付すれば良いのです。ところが実際はランドセルは公費で買えるので送ったランドセルの分は回り回って施設の職員の残業手当になっているかもしれません。他に予算が使えることはまったく無駄だとは言いませんが、たぶんそれは寄付者の意図するところではないでしょう。

それともう一つ大切な点があります。劇画タイガーマスクでは伊達直人は格好いいスポーツカーで孤児院(児童養護施設)に乗り付けおしゃれな服を着て、そして子どもたちと遊びます。贈り物をしますがそれは行動の一部、その伊達直人の姿を見て、キザな奴だと反発する子もいます。素直に格好いいと憧れる子もいます。いずれにせよ子供達の刺激になることは間違いありません。

そして子どもたちは自分なりの夢を考えるようになります。自分もあんな格好いい車に乗りたいなあ、、自分もなれるかもかもしれない。自分もいつか同じようにしたい。贈り物は物にとどまらず夢になります。それは伊達直人がそこにいて目に見えるから起こることです。

一方、どこの誰か知らない人から物だけが来ても、仮にもらって喜ぶ物でも、「ああラッキー」それで終わりです。直接交流して子供に届けるからこそ意味があります。日本人は良いことをするときに匿名の方が美しいと思う人が多いかもしれません。もしそう思うなら施設に行っても名前を公表しないでと言えば済むことです。隣人や会社の同僚が知ることはありません。

では具体的にどうすればいいの?と思われる方に助言を。公費では買えないけど、でも世の中の多くの子供が持っているもので、施設の子供達が欲しいなあと思うもの、そういうものを贈ってあげるといいです。ただ施設によってはせっかく贈っても子供に渡さないこともある。施設の方針に合わないという理由。パソコンとかタブレットなどがいい例。だからこそ自分で施設に足を運んで様子を知ることが大切です。

わたしのオススメは自転車。高校生になって通学に自転車を使う場合にはそれは学業に必要な経費ということで自転車購入が公費で認められるけど、小学生中学生には自転車は公費では買ってもらえないからそれはあげればとても喜びます。ランドセルは実はけっこう高いので、その金で複数の自転車を贈れる。その場合にはまず施設に問い合わせして、なん歳ぐらいの子がいるか聞いて、こどもによっては親とかから買ってもらっている場合もあるので、誰からも買ってもらえないこどもに自転車を贈るとよいでしょう。

できたら施設のこどものところを訪ねて交流してその上でプレゼントすれば、こどもはずっと覚えてそして感謝するという気持ちも学ぶでしょう。匿名で寄付で贈られてもなんか降ってきたような感覚と公費で買えるものとの区別もつかないから、子供はありがたみを感じないのです。少し手間暇をかけてあげれば、それがこどもたちへの1番の贈り物です。大人から適切な手間暇をかけてもらえてきていない子どもたちですから。

さて、もしあなたが施設を訪れてそのような申し出をしても快く思わない施設も実はあるかと思います。いろんな施設があり、口では子供達のためと言いながら大人の都合を押し付ける管理主義の施設もあります。勝手なことをされたら不公平だ。誰も持っていないのだからその方が言わば公平でやりやすいと思う施設もあるのです。この悪平等主義は日本の施設で蔓延していると言ってもいいかもしれません。そういう施設に安易に物やお金を贈っても生かされるとは言い難い。だからこそ子どもたちのことをよく知ることが大切になります。

寄付について余談なのですが、クリスマスケーキの寄付というのがやたら多いです。クリスマスは何か良いことをしたい気分になるのでしょうか? そんなにたくさんケーキを贈られても食べきれません。無理して食べても体によくありません。ケーキは日持ちはさほどしませんので捨てられることもあります。もったいないです。その一方で年明けになるとさっぱり。おせちを寄付で贈ってくる人なんていません。おせちを贈って欲しいと言うのではありません。クリスマスに何か贈るならケーキよりアイスクリームが良いかと思います。冷凍しておけば日持ちして正月にも食べられますので。

さて劇画中の伊達直人、彼の夢は虎の穴との戦いに勝利してレスリングを引退して施設で子どもと暮らすことだったというのはご存知でしょうか。だが彼は思い半ば、交通事故でこの世を去る。車に轢かれそうになった子どもを助けるために自分が犠牲になりました。それが劇画タイガーマスクのエンディングです。伊達直人は子供に物を贈るよりももっとも大切な贈り物があるということを知っていました。それは子供に手間と時間をかけることです。そうして夢を子どもたちに持ってもらう。夢は与えるのではありません。子どもが自ら育くむもの。その手助けに手間と時間を注ぐのです。

児童養護施設で暮らした経験もあるわたしはわたしは外資系企業の部長職を自主退職して児童養護施設で働きましたが年収は数分の一になりました。施設で重労働をするより高い給料をもらい差額を贈るほうがずっと多額の寄付ができる、という理屈になりますが、そういうものではありません。施設のこどもたちに本当に必要なのは、繰り返しますが、生身の人間が手間と時間をたっぷりとかけてあげることと、そしてそれを通して子供たちに夢と希望を持ってもらうこと。

わたしは自分自身が裕福であることを別に隠しませんでした。伊達直人はジャガーでしたがわたしは少し控えめにVWティグアンで施設に通いました。わたしも50代になって車は地味になっていたのはちと残念でした。以前乗っていたBMWとかプジョーのオープンカーで通勤したらもっと目立ったんだろうななんて思います。おもしろいことに劇画タイガーマスクと同じことが起きました。最初子どもたちはわたしを嫌味なお金持ちと斜に見ていました。でもわたしが施設出身であることを知りそして生き様を見せ自分の価値観を語るうちに子どもたちは次第に心を開くようになります。そして俺もわたしもと自分自身の夢を考えるようになりました。わたしの望みは子どもたちと仲良く暮らすことではなく、まさにそれだったのです。

伊達直人は結局施設では働きませんでした。彼が果たせなかった夢を果たす。伊達直人になること、それはわたしの夢でもあったのかと今のわたしは感じています。卒業して就職したり進学したり、何人かの自分の夢に突き進む子供達とは退職した今でも交流があります。一緒に食事をしたりすると子どもたちの目は眩しいくらいに輝いています。子どもの瞳は夢で輝く。本当にそうなんだ、自分で確かめられ、その瞳の端にちょこっと写って、わたしはとても幸せです。

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Comments 2

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白猫次郎  

No title

素晴らしい人生です!
おめでとうございますと言いたいです。

2018/01/31 (Wed) 00:02

ハルトモ  

No title

ありがとうございます。というほどのものでもないですが、笑

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