勝つという確信の降臨
2018年01月11日
競輪というのは所謂ギャンブルの中でも知る人ぞ知る最も複雑なゲームである。阿佐田哲也氏はギャンブルの王様だと言っている。紛れが非常に多いゲームである。だからこのレースは自信ありってことにはならない。ましてや数十倍とか百倍を越す配当を狙って確信がありますなんてのはちとあり得ない筈である。わたしは競輪のセミプロだったんだけど、まるで金魚掬いのように、慎重におっかなびっくり、なんとか勝ち負けあっても勝ち越すというしのぎをしていた。
ところが誠に不思議なのであるが、このレースは勝つと自分の内面から自信が沸き起こってくることが稀にある。沸き起こるのではなくどこぞから降りてくると言ってもいいかもしれない。わたしで生涯で3回もう一回もそうだったかなというのは1回あるからまあ、3ー4回。数年に一度くらい。
最初の一回はよくわからなかったので自信は来たのであるけど、でもそれほどは買わなかった。それでも若いわたしの1ヶ月分の手取り給料くらいは1レースで稼いだ。初めての経験であった。その後同じような感覚が3度来て、そして3度とも取った。1レースでボーナスかそれ以上稼いだ。
その後競輪はすっぱりと足を洗ってしまった。似たような経験が株式投資であるかと言われるとない。強者が敗者を喰らうという似たようなゲームではあるんだけど、競輪のような感覚に襲われたことはわたしは株でも為替でもない。自信はあるんだけどそれは自分で作り出した自信。どこぞから勝手に降りてくる自信ではない。
ところでギャンブルでも株でも一度始めるとなかなか辞めるのは難しいですよね。理由はいろいろ言えるけど、それが勝ち逃げを難しくしている。わたしのように競輪でも株でも上手に勝ち逃げするってのは勝負の要諦なんだけど、一度株に手を染めて、それでスパッと足を洗ったと思っても、また戻る。当たり前です。手を染めたんだから手を洗わなきゃいけないのに足を洗ってもダメなんですよ。
ご自分の手をよくご覧ください。手は足より概ね器用ですよね。その器用に動く部分が悪さをするんです。ちょこちょこっと上手くやりたくなる。どんなものでも達人というのは余計な動きがない。むしろゆったりと見える。器用な部分をあえて使わないことです。
それにしてもこんな立派なことが言えるのにゴルフでは言っていることの1%もできないってのはどういうわけだろうかね? 練習に行く。なんだか上手く当たらない。それで試行錯誤が始まる。良くならないで余計おかしくなる時もある。それで頑張ってたくさん打って、それでああ、そうだってようやく気がつく。その時にはもう二百発以上とか打っている。それで安心してこれだと納得しながら練習を終えると、いくら300発練習した言ってもその内二百五十発はおかしな打ち方をしていたわけで、残りの五十発で納得してもそれじゃあ体が覚えているわけはないよなってつくづく思う。
じゃあ上手く打てるようであればそれを続けて体におぼえこませれば良いではないか、と思うのだけど、それをしているとまたそのうちおかしなことになってくる。これが本当の堂々巡りでキリがない。なかなか上手くならないわけである。ゴルフなら遊びで済むけど投資でこれをやったら、、、金がいくらあっても足りんのだろうね。
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