成人式に出席する新成人。着物で出席する女子も多いけど、着物は買わずにレンタルしても結構な費用はかかる。着付けもそれからメイクとかヘアーのセット代もかかる。その費用は親が出しているというのが多いとは思うけど、そうでなく自分で出している新成人もいることは案外注目されていない。自分で働いたりアルバイトして貯めたお金で、あるいはローンを組んだり、そういう子と言っては失礼。人が割といるのである。いずれにせよ自分で晴れの舞台を祝うとはまさに立派な新成人だと思える。
児童養護施設を卒業した女の子も自分でアルバイトをして貯めたお金で着物をレンタルして晴れの舞台に望んだ。わたしは僭越ながらわずかな祝儀と実働として運転手を務めることと相成った。親が費用を出したりあるいは親戚からたくさん祝儀をもらうわけでないけどもその子は自分で自分を祝う。とても誇らしげに輝いて見えた。実際メイクもヘアーも驚くように立派だったけどね。
わたしの娘は成人式には出なかった。さほどの感慨もなかったんだと思う。着物はすでに我が家にはあってそれを着付けをして写真は撮った。それとは別にお茶で着る新しい着物を買ってもらっているが特に喜んでいる様子もない。そういうものだと思っている。我が家にとっては普通のこと。それが幸せかどうか議論する意味はない。それぞれの人生としか言いようがない。
ただわたしの経験から言えることは、自分で切り開いた方が人生それは面白いしやった甲斐はあるということ。とても大変なことでうまくいかないってことも多いので、めでたくうまく行くならって話ではあるけど。
児童養護施設の子どもの消息はいろ色漏れ聞こえてくる。うまくいかない話もたくさんある。せっかく入った学校を辞めてしまったとか、会社も辞めてしまったとか、そうなるとこれはもう誰かが引き上げてくれるわけではないから、ろくなことにならないってケースが多い。施設の子供達は崖の上を歩いている。なんかの拍子に落ちたら見上げるような壁。そんな世界である。
わたし自身は成人式になど出ていない。20歳の時には家出をして東京で新聞配達をしながらその日暮らしをしていた。まさにわたしの前には見上げるような壁があった。その壁は結局乗り越えるのであるけど、それであまりに嬉しくて今でもはしゃいでいる。自慢はみっともないと言われてもはしゃぎは止まらない。それくらいご機嫌で嬉しいのである。下を知らない人にはわからないだろうけどね。
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