個人的革命

2018年01月05日
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人生の考え方
今年最初の西野流呼吸法の稽古。渋谷まで出張ってきた。働いている人もいるようだけどそうでない人も多いね。家族づれも多いし、それから学生とか生徒とか少ない。街というのはいろんな人がいた方が雰囲気は落ち着く気がする。わたしのような労働感がないおっさんも少ないけどそれなりに歩いてる。どうやって暮らしてんだろう? ただわたしのよう人を観察している人間というのはあまりいない感じがする。これが田舎に行くと年寄りとかはよく人をみている。我が家のご近所さんもそんな感じだ。時間があるからというのもあるけど人を観察するってのはとても楽しい。そこから想像力連想力を逞しくする。良い暇つぶしだ。

同級生は皆同い年で60歳を迎える。統計通り多くはサラリーマンである。今後どうするかは別として長年働いてきたことは間違いない。ではその労働で何をどれだけ提供して何をどれだけ得たかって、そんな細かに計算はできないだろうけど、なんとなく損得は自分でわかるだろうと思う。

当たり前だけど競馬の胴元と同じで労働を提供しても組織や資本家がまず儲けるので総和としては提供した分が返ってくるという構図になってない。加えて税金や社会保障費もある。搾取を含む住宅ローンや教育費もあるから儲かったなんてサラリーマンはそれは非常に少ないだろうし、仮に損得でプラスでも小さく提供して小さくリターンを得たんじゃ面白くはないだろう。

提供したものはいろいろある。労働はもちろんとして、時間的な制約、場所的な制約もある。倫理観とか正義感とか、プライドとか、もあるかもしれない。下手すりゃ自分らしさってのもあるかもしれない。

それでどうなんだろう?ってことだけど、当たり前だけど最小限の提供で最大限のリターンを得る方が良いと、わたしは思う。労働だからそれは働くし儲けさせるようにはするけど、でも嫌なことはやらないとか、自分で好きに時間を調整するとか、休みたいときに休むとか、そんなことして上の機嫌を伺うこともしないとか、もちろん価値観とかなんてのは自分の物で誰が何を言おうが関係ない。

わたしの場合は会社は儲けさせたけどそれは割とわたしにとっては楽しい作業で全く苦痛でなかったからそっちを専門にやっただけ。むしろ服従するなんて大嫌いでやりたくない。そうでない人間でろくに会社を儲けさせずお世辞おべっか専門って人間もいると思うけどそれはそれでいいんじゃないかなって思う。その人がそれでいいのなら。ただわたしは嫌なだけ。

会社で手にれたものでそれで更に儲けるなんてのもいい手だと思う。散々会社とか組織で教育してもらって、さよならとか言う人もいるけど、それもそれで本人がそれでいいなら構わないと思う。もともと会社てのは労働者を利用してんだから、お互い様でいくらかの損得逆転は計算のうち。ほとんどの労働者はおとなしく儲けさせてくれんだから問題ない。

こんなことを言うと、ハルトモの言うような人間ばかりになったらこの世の中回らなくなるんじゃないかなんて言う人間がいるとしたら、言い返してあげる。あなたの心配することじゃないってね。自分のことを先に心配した方が良い。それにわたしのような人間ばかりには絶対にならないだろう。わたしは簡単そうに言うけど、多くの人にとってはやろうと思ってもなかなかできない、どころかやろうなんて思いつかないみたい。

個人的な革命という言葉をわたしは時々使うけど、個人的というくらいだから個人毎にいろんな形があっていい。いずれにせよ奴ら?を儲けさせないで自分が儲ければそれが革命だ。α>βが α<βになればいい。金だけの話じゃない、あらゆる面で。それが広く行き渡れば本当の革命になっちゃうけどそんな心配は要らないことは書いた通りで、だからこその個人的なんである。
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