わかってくれなくてもいいことですけど

2017年12月30日
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人生の考え方
年の瀬も押し迫って児童養護施設の子どもがまた遊びに来てくれた。卒業生では今年二人目。以前からの読者ならご存知のわたしが受験で奮闘した子どもである。久々に会うとキラキラと輝いているのが一目瞭然。充実した大学生活をエンジョイしているようである。

いろいろ話して楽しく食事をしていたらニュース、なんと来年の4月からアメリカに留学することになったと。留学の奨学金に応募して当選したそう。大学は休学して一年遅れるけど素晴らしい経験をすることになる。

本当に毎日毎日楽しいと。そして言う。わたしの人生ってついているかも。そうかどうかではなくて、まさにそう思うことが重要というわたしの主張通りである。自分はついていると思えるようになれば人生はしめたものである。その子が今幸せななことをわたしは素直に嬉しい。

わたしがいたからだと言うほどの気はないけど、このハルトモが全身全霊を尽くしてそしてわずか数人の人生にいくばくかの関わり合いを持てたことはわたしの誇りである。わたしもとても幸せな人生だけど、その幸せは関わりあった子供たちからも得られていると実感する。

以前ある読者からコメントをいただいたことがある。自分が投資で儲けたお金を使っていろいろ寄付していると。いちばん簡単な自分が納得する方法である。やらないよりはずっといいことはいいのでやったらよろしい。自分の納得のために。ただそれで恵まれない子供達の役に少しでもたつとか思うなら、それははっきりないとわたしは言える。そんなことないだろう。そのお金は何か使われるから、、そう思う人間はそう思えば良いがちと違うのである。そこはお金じゃないのである。子どもが幸せになっていく、そのプロセスに貢献しようと思えばそこはお金ではない。

金儲けに熱心な人間はけっこういる。自分のビジネスに夢中。蓄財が楽しい。納税しただけで社会の役に立っている気という人ももいる、稼いだ金を使ってまた楽しい。それもまあ自分の楽しみとしては悪くはない。ただ儲けた金を寄付とかいくらか出しても、それは同じく自分の楽しみのうちだということである。

時々人の役に立ちたいなどと軽く言う人を見ると、たった一人に役にたつことでもそれは全身全霊本気な作業であると知る人間からすると、なんだかなーと思うわけである。
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