計算高く生きる
2017年12月25日
先月ゴルフ中に股関節を痛めた。だがすぐに治った。数日前にスキーで痛めた腰ももうほとんど問題ない。最近では落馬が一番大きな痛め方で、接骨院では半年はかかると言われたけど、でも1ヶ月でほぼ治った。怪我をしてもいつまでも引きずらずわりと早く治る気がする。毎日運動しているおかげかしら。
風邪を引くということは滅多にない。3年に一度くらいかな? 今年どうやら風邪らしきものになって、でも2日で治った。風邪かなと思っても翌日には大丈夫で二日。何日も調子が悪いってことはまずない。これも運動している成果かな?
ゴルフをしていてもカートで乗り降りしてそれで知らないうちに走っていることがある。週に一回は渋谷に行くんだけど、駅の階段なんかパンパンと駆け上がってしまうこともある。別に駆け上がろうなんて思わないが二段飛ばしは当たり前でそれでポンポンと上がっていくと走ってしまうこともあるって感じ。
肩が凝るってことはない。これは運動の成果というより呼吸法のおかげだと思う。首と肩を揉まれてもそれほど気持ち良いと思わない。整骨院に行ったりすると体が柔らかいんじゃくて肉が柔らかいって言われる。凝っていないってことみたい。手足が冷えるってこともない。寒いところはそんな苦手じゃない。
さて本題というほどのことではないけど、ある知人と話していてふと気づいたことがある。その人は典型的なサラリーマンなんだけど、その人とサラリーマン処世術みたいなこと話していて、まったくわたしの言うことには同意できないという人なんだけど、その人が一番嫌い怖れるのは、どうなるかわからないという状態、だということである。
嫌なこととか納得の行かないことをしても自分で我慢してやっていればどうなるかは見当はつく。自分が我慢すれば丸く収まる。そういう人が集まる組織では皆が我慢して組織を維持している。ところが人と違う振る舞いをしたり、自分のしたいように振る舞った結果、どうなるか? それがわからない。上司に逆らえば何が起きるかわからない。たぶん良くないことが起きる、それにどう対処していいかわからない。であればどうなるかわかることをしていた方が良い。仕事をしていて納得のいかないことは多い。不愉快なことも多い。でもお金をいただくというのはそういうことだ、と自分で自分を納得させている。
わたしはそういう考え方の人間ではないが、ただわたしもサラリーマンは長かったから言っていることは理解できる。別にわたしのような考え方を人に勧める気はない。ただちと不思議だなと思うことは、そんな振る舞いを長年して耐えに耐えても人生思ったように行かない人がとても多いというのどういうことだろう? 少なくとも私よりうまく行った人間をわたしは知らない。急なリストラや配置転換も呆気なく起こる。ストレスを抱えてあちこち悪くなるもの仕事と関連あると思う。なんでそういうものだと気づかない?
せっかく我慢したのはどうなるかわかるようになるためなんであれば、そのどうなるかがどうなっているか? ちゃんと考えていないってことじゃないかしら? むしろわたしの方がそのあたりちゃんと考えていて、言うなら計算高いと思う。
計算高く生きるというのは大切だとわたしは思うけど、要はその計算がどうなっているかである。間違った計算をすればおかしくなるのは当然だ。自分では得したつもりでも損していることは多い、人から見れば損しているように見えても実は得しているこもある。わたしはサラリーマン時代に、もっと上手に生きろとか、賢くなれとか、そうアドバイスされたことが多かった。わたしは損なタイプだと言われたことも多い。だが計算が正しかったか間違っていたか、それは計算結果を見れば一目瞭然である。こんな元気で時間も自由で金も自由で毎日が楽しい。わたしに上手に生きろとアドバイスしてくれた人は今でもヒーヒーと働いている。でも自分の計算は正しいとまだたぶん思っている。ハルトモはたまたまだと。もちろん勝手にすればいいことである。お互いにね。
- 関連記事
-
-
文章を読んで誰が書いたか特定することは可能か? 2022/08/25
-
読者と一緒に歳をとる 2021/10/13
-
眼鏡のつるさえ直せない貧乏の彼方に 2022/01/04
-
儲けるのが楽しくて仕方ない 2019/05/29
-
好きなこと嫌なこと 2016/07/25
-