どこでおかしくなった?
2017年12月18日
24時間電話一本で駆けつけて売りたい人から売りたいものを買い取るという業者がいる。利用する人はさまざまな背景を持つけどやはりお金に困っている人が多い。場合によれば出かける金もないから買いに来てもらうという人、当然買い叩かれるから多少でもゆとりのある人はどこかで普通に売った方がいくらか高く売れると思うけど、そんな余裕はない。状況は差し迫っている。
この前テレビに出ていた人はわたしと同世代。独身である。小さなアパートに住んでお金がまったくなくてアルバイトに行く交通費もないと言う。それで日用品なんでも買ってくれと頼んでいる。どうしてそんなに困ってしまったのかと聞かれると、病気で半年くらい仕事ができなくなり、それでアパート代も払えなくなり一気に困窮したと言う説明。病気さえしなければこんな風になっていないのにと、自分が病気をしたことを不運と受け止めていた。
その人間のアパートの部屋は雑然として物が散乱してどうにもその人間が健康的な生活をしているとは思いにくい。どんな病気かは知らないけど生活習慣にもなにか問題があったんじゃないか?て気になる。それよりもわずか半年働けないだけで、困窮することそのものがおかしいのに、その部分本人が自覚している様子がない。そうなった本当の原因は数十年のその人間の生き方にあるはずなのに。もっとも今更反省しても遅いのかもしれない。
わたしと同世代で貧困に喘ぐ人はたくさんいる。東京の大きな公園に行けばボランティアが配る弁当に多くの高齢者が並ぶ。どんな弁当かとサイクリングのついでに寄ってみたことがある。何人かと雑談をした。また彼らの話を黙って聞く。せっかく来たんだからお前も貰って食っていけと言われたが流石に遠慮した。1番の理由は美味しそうじゃなかったから。話していて思ったのは、多くの困窮者は自分がついていない、不運であると考えているということ。運が悪いからこうなった、自分はそれほど悪くない、ひょっとして国が悪いとか世間が悪いとか。自分以外に自分の不遇の原因を求めているケースがとても多いように感じる。
人間というのは心の中に自分の負担を軽くするメカニズムが入っていて、例えばあれは自分のせいじゃない、わたしは悪くない、と自分さえを言い聞かせてしまうということをしばしば行う。これで楽に生きられるとも言えるけど、あまり強いと身勝手と人から見られるし、結局自分に降りかかるものを誰のせいにしようが、それは自分が受け止めるしかないのである。どこにも行きやしない。受け止めてどうにもならないなら、それはそのままどうにもならないのであろうけどね。
ただ60歳くらいならまだまだ残りの人生ずいぶん長いから考え方を変える価値はあるとはわたしは思うけど、そういう人間に限って60歳くらいでもう人生老い先短いなんて思うもんだからどうにもならない。そんで本当に老い先短くなったり。人生てのはそういうとこは思い通りになるもんだから皮肉である。
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