怖れを越えて
2017年12月15日
さる日本の大企業からわたしがいる会社に転職してきた同僚。わたしより数歳年上の人だったんだけど、長いサラリーマン生活の経験から発する言葉にはそれなりの含蓄があって、その人から言われた印象深いセリフがある。
「サラリーマンというのはどんな偉い人でも誰かか何かを怖れて生きているんだけど、ハルトモさんにはそれがない。高い地位の人ほどハルトモさんから自分の怖れを見透かされているような気持ちになるはずだ。」と。そして続ける。「本当のところは誰だってビクビクしたり怖れたりして生きたくはない、でも自分を守るために仕方なくやっている。それをやらないハルトモさんは羨ましいと言うより快く思われない。」
そんな意味の話であった。言われてそうだろうなとは思ったが、これは態度とか言葉遣いで繕えるものじゃない。わたしの態度振る舞い全体から醸し出されるものだから隠せるものじゃないし、そのあたりは所謂できの良いとされるサラリーンは感じる力がある。
わたしが飛ぶ鳥を落とす勢いで実績を上げ続け昇進していく。ゼロから立ち上げた事業が社運を変えるほどになるものだから当然責任者になって、それで随分と偉くはなったけど、偉くなれば大人しくなって上の言うことを聞くようになると、上層部はそう思っていたらしい。ポジションを得て給料も上がれば、どんな鼻息荒い人間でもその地位が可愛くなり守りたいという気持ちになるものだと。
ところがわたしはそれがなかった。自分の地位などどうでも良いという振る舞いは止まるところがない。それは上から見たら驚きで、それで結局日本法人の社長候補から外れるのであるが、わたしはそれはわかってやっていった。好きにできないなら社長になれないどころか、クビでも良いと思っていた。
思えば不思議なものである。子どもの頃、いろんな大人の都合に振り回され、親父からは虐待されたり、親戚をたらい回しにされたり、そして児童養護施設にも入っり、複数の継母との関係もあった。(親父は3度結婚した)そうした中でいつも人の表情を盗み見るような子どもになったわたし。誰も守ってくれないと思えば自然とそうなる。そんなわたしが今のようになる。その経緯はいろいろ書いて来ているが、今言えるのは悲しいこと一生分は子どもの頃にやり終えたってことである。その後は楽しいことしかない。楽しくやることが一番大切と自分で決めれば楽しくやるのは難しくはないのである。その結果どうなっても構わないから。そしてそこでまた楽しくやればいいだけのこと。
よく人から言われた。ハルトモは怖れを知らない、と。だがそれは間違いである。怖れまくった多感な少年は、怖れを自分で乗り越えたのである。怖れて多少まともな生活をするより自分らしく生きる方がどれだけ良いか、それは少年ハルトモの確信であった。その少年の確信は今も生きている。
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