苦あればこその楽かな?
2017年12月03日
他の国は知らないけど日本では、苦しいことを乗り越えた先には楽があるとなんとなく誰でもそう信じているし子どもにもそう教える。遊びたいのを我慢、辛くても勉強して良い学校に行けば将来報われる、から始まって、仕事でも長年耐えてその先に明るい未来があるとか、下手すれば、地獄を見たからこそ今の自分があるとか、つまり我慢して耐えるのは良いことだという考え方である。下世話な話だけど、投資だっていろいろ失敗して痛い思いをして経験を積むことが成功へのステップだなんて真顔で言う人間が多い。
終わりよければ全て良しとは言うけど、限られた人生で辛い嫌な時間をたくさん持つことがそんな良いことかね? 人間というのは成功した人間の苦労話を聞くのが好きである。成功後の自慢話にはむしろ眉をひそめる。苦労話は美しくそして人を感動させて、そこに成功への鍵があるとたいていの人はそう信じるからだ。
もちろんそういう部分もあるんだろうし、苦労知らずの人間がが薄っぺらというケースはよくあることだが、本物の成功者は他人が見るところの苦労を苦労と思わないで、むしろそれを楽しんでいるんじゃないだろうか? だからこそ成功できるという気がわたしはする。苦労が苦労で辛いのではそれは続けるのはたった一度の人生、辛い以上にバカバカしいしとわたしは思う。
世の中そうやって耐えて耐えてその結果期待したような結果が得られる人間はどれほどいるのだろう?それでも生きていけるし、自分で自分をなんとか納得させるんだろうけど、なにか物悲しい気がわたしはする。子供の頃から刷り込まれた道徳観念に蹂躙されたと思える。
それでも感謝するべきとまた子どもの頃から刷り込まれた道徳観念がある。感謝しなさい感謝するのは大切なことだと教えられる。私に言わせれば感謝を軽々しく口にする人間を信用できない。感謝というのは心のそこから沸き起こるもので、教えられてするものではないと思っている。感謝という言葉を口にするなら行動ははるかにそれを上回るべきだとわたしは思うけど、大抵の人は感謝していると口で言うほどの行動は取らないものである。軽いのである。
外から見ると大した苦労でもないのに自分のことだと辛い辛いと深刻に考える人間も多い。他人のことであればなんとも思わない人間ほど自分のことだと大ごとだと考える気もする。結局苦労というのは自分の心の中にあるもので、自分が辛いと思うから辛いのである。辛いと思わずにそれを楽しめば良い。それを楽しむのは不謹慎だとばかりに辛さを美化する。
毎日毎日楽しくよい時間を積み上げることが人生で肝要だとわたしは信じている。辛いとか嫌なことはやるべきではない。ただそれは自分の心の持ちようで全て変わる。人から見ればそんな辛いことよく耐えられるなと見えても自分が楽しいということもある。つまるところ己の納得、価値観の問題でもある。
それにしても株でも不動産でも、損して損してそれで勉強になったってのはゴルフでミスショットして勉強になったと言っているのと全く同じで、これは実は勉強になっていないんじゃないかしら。ミスよりも練習で正しいショットを身につけるのが上達への道である。ミスが心に傷として残ると厄介である。自信を持って打てなくなるとどんどんおかしくなっていく。投資は金をかける話だし負けたら大変だ。練習して上手くなろうなんて思わないで、まあ本業で地道に稼いで、仮にチャンスと思えばやればいいじゃないかしらね。ほとんどの人間はそんな儲かるもんではないのだから。
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