未知の後のない勝負

2017年11月26日
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株式投資
我が国の教育制度では教わっていないことはできなくても良いとされている。一方教わったことは教わった通りにすると評価される仕組みになっている。社会に出るとちゃんとマニュアルがある会社もあるし決められたことを決められた通りに行うというのは仕事の大前提になる。先輩が教育係としていろいろ教えてくれて、それを疑わずに受け入れ、そして引き継いでいくのがまず仕事の基本である。自分で考えるというのもそれは当然するのだが教わったその基本から大きく逸脱して勝手に試行錯誤してよいわけではない。どんなことでも勉強して練習して経験を積んでいくのが当たり前というのがこの世の中である。

前の会社に入った時に外資系で配属された事業部はいろいろあって混乱していた。それで誰も教えてくれるわけではないし、ルールもいい加減で、これはとんでもない会社だとみんな言っていたけど、わたしは素晴らしいと思ったのね。だって自分で考えて自分で試行錯誤することができる。もちろんのんびり試行錯誤している暇はない。結果を出して行かないと生き残れないのである。そんな環境でわたしは自分のやり方で驚異的な結果を出し続けて次々と新規事業を成功に導く、あれよあれよと昇進して行く。誰もわたしを止めることができない。

いくら学校で優等生でも、なにも教わっていないところからなんにせよそれなりの結果を出す力は養われないのだろう。むしろ組織の中で秩序ととも生きていくには邪魔なものだろう。

一発勝負に勝つ力というのもこれは興味深い。勉強して練習して失敗を繰り返すのはまともな道だとたぶん多くの人は思うだろうが、失敗したとたんにそこで終わるとしたらどうなるだろう? 世の中では一度の失敗で取り返しがつかないということはけっこうあるのである。失敗は成功の母などと言うがなんでもかんでも当てはまるわけじゃない。

何もないところから後のない勝負を勝ち切る、さてどうやる? まあ普通は避けるということだろうね。そこに追い込まれたらどうにもならない。そのどうにもならない状態にならないように生きていくというのが賢い生き方ということになる。そういう賢い人からみるとわたしはどうにもおかしな人間だということになる。会社でも最初勢いがあっても「そのうちどこかで躓くさ、やらせておけ。」と上の人間は見ていた。わたしのようなやり方がいつまでも続くとは思えなかったのである。むしろそれはわたしには追い風になった。

児童養護施設で先輩職員がわたしに意地悪のつもりで、なにも教えずにまた何も知らせないとか会議にも呼ばないとかされたわけだが、彼らにするとそれでわたしを困らせるつもりであったんだけど、実はわたしはそれで全く困っていなかったということどころか喜んでいたことを彼らは最後までわからなかった。ああしろこうしと言われればそれなりに聞かないといけないけどそれをしなくて自分で考えた通りにすればいいのである。わたしは自分でどうして良いか分からず困ってしまうということはない。

株式投資でも不動産投資でも、わたしは投資のノウハウ本一冊も読んでいない。勉強もしていないし練習もしていない。損したという経験もない。だから勉強練習経験なんてプロセス踏んでない。株式投資なんていつか失敗するぞとわたしのことを思った人間もけっこういた。このブログの読者でもそういうことを期待?していた人間もいたかもしれない。会社でわたしのあれよあれよと昇進するのを見た人たちと同じである。だがその通りにならない。運が良いで片付けるしかない。わたしは違うと思っているが対外的にはそれでまったく問題ないのである。

ところでゴルフはそうはいかないぞ。たっぷりと勉強してたっぷりと練習して、そしてたっぷりと失敗して、経験も積んで、それで全然思うようにはいかない。かと言って何も考えずに打つこともできない。スポーツというのはそういうもの。基本がきちんとある。だから投資も基本があると安易に思い込む人も多いのだが、結婚とか仕事選びとかやはり練習できないで人の進路を分けるものはたくさんある。投資なんてわたしにとっては大きく勝敗をわける勝負は一生に1度か2度だから、むしろ結婚に近いような気がする。だいたいやらなくてもよかったのである。勝てるようになりたいなんて思うのでなく勝てると思うからやったのである。

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