選択肢が多いということ

2017年11月17日
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人生の考え方
これは程度の問題なんだけど、普通の家庭に育てば親の言うこととか先生の言うことは一応尊重はするだろう。一般に偉いと言われる人も素直に尊敬するするようになる。つまり自分を取り巻く社会を好ましいものとして受け入れているということ。大人がよい成績を取ると褒めてくれる。大好きなパパママが言うことだからやはり勉強したほうが良いのだろうとそう素直に思うというわけだ。

それで一般的には幸せということなんだろうけど、わたしの場合は、親の言うことも先生やいろんな大人の言うこともどうにもまともに聞くことができなかった。言う通りしていて良いことは起きないしわたしのことをまともに心配してくれている人がいないようだし、それで自分で考えないといけないと思った。

実はそうなると考えることはとても多くなるし、選択肢も増える。言う通りにしないと決めた段階で選択肢は何倍にも増えてそしてシナリオは複雑になる。自分がとった行動に、言った言葉に相手はどう反応するか? それも考えないといけない。言いなりになるよりかなり複雑である。

会社だって同じである。上司の言うことやあるいはマニュアル通りにしていれば選択肢はそれほどない。もちろん裁量というのはあるけど、上司の指示に従わなかたり、あるいはマニュアルよりもっと良い方法があるのではと考え実行に移そうと思えば、そこから選択肢は無限に広がる。上司に逆らうとして、さてどうやる?黙ってやるか宣言するか? さてその内容は? 相手の反応は?考えることは多いしシナリオはどんどん複雑になっていく。

わたしはこの複雑性を厭わない。むしろそれを楽しむ。だから自由を謳歌することができる。ところがその一方で、あまりの自由にとまどう人もいる。定年まで大人しく働いてきた人たち、子供のころからそして職場でも実はそれほど自由な選択肢はなかった。むしろ仕事はそういうものだと思い込んで生きてきた。それがリタイアしてさて自由ですよと言われて、それでパッパカすることの段取りができない。暇を持て余しゴロゴロとかする。それで思う。自由というのは案外ストレスだと。まあわたしに言わせればざまあみろである。自分のおつむを実は使ってこなかったツケが回ってきているのだと、わたしはそう思う。そういう人間は選択肢が少ないほうがたぶん幸せなんだろう。

今日はユニクロに行ってベトナムさんが進めるウルトラダウンライトを物色。実はこのウルトラダウンライトはすでに持っている。軽くてスイングしやすいがどうにもゴルフウェアとは言い難い。正直ゴルフ場では格好悪い。でもなんか新しいデザインがあるかもしれないと思って行った。そしたらあった。ジャンパーのようなデザインのが。それも旧モデルのセールで3900円。迷わず購入した。わたしはゴルフウェアは二種類にわけている。ひとつは勝負用、もうひとつは薄暮プレーなどの軽い練習用。ユニクロは練習用に使うつもりだ。

それで早速ホームコースの薄暮プレーに。今日はアイアンだけで回ってみようという試みを実行した。先日購入した2番アイアンでティーショット。飛距離を気にせずゆったりと振るといい感じ飛んでいく。3ホールめくらいで同伴プレーヤーがアイアンなのに飛びますねとか声をかけてくる。ええ、などと返事をしながら、それでだんだん大振りになっていく。まったくわたしの馬鹿さ加減には呆れるが、アイアン持っているのに逆に力んでしまった。

2番アイアンはそれでもちゃんと当たったが、ショートアイアンがおかしなことになっていく。あまり見ないようなミスがでる。たぶん全体にスイングが大きくなった。まったく不思議である。自分では頭は悪くないほうだと思っているんだけどゴルフになると自分の馬鹿さに呆れることが多い。アプローチもそうだ。時間があるのでいろんな上げる止める、ある程度上げて転がす、低く出して転がす、いろんな練習をしている。それでさてどの打ち方を選択するか? そこで迷う。選択の多さが仇になる。なんだよ偉そうにいうけどゴルフになれば全くの凡人である。まあこれもこれでけっこう楽しいけどね。
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