1日は長い

2017年11月05日
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人生の考え方
午前中ジムに行って、午後から車で出かけた。豊川まで一気に走る。お通夜は6時半からだが5時半くらいに到着。故人の奥さんや弟さんにご挨拶をする。彼はわたしとの思い出話を身内にもよくしていたようで、わたしのことをご存じであった。結婚式でもあってるしね。ひとしきり思い出話をするとこみ上げてくるものがある。あまりつきあいのなかった同級生の死を噂で聞いたことはあるが、よく知る同世代の友人を亡くしたのは初めてである。先に死ねばやはり一人になる。残れば友人を送り失うことになる。これからは友人知人を失っていく時間軸に入っていく世代だと言うことなんだろう。誰でも公平に一回だけ必ず死は訪れるから。聞くと大学の友人で弔問に来たのはわたしだけのようであった。ほかの人間にわたしからも連絡を入れたのだが、忙しいのか別の用事でもあるのか。行く行かないはその人間の自由だが、その分わたしは行ってよかったなとは思った、死んでいるとは言っても姿形がまだあるうちにお別れができた方が自分の気持ちの整理にはいいような気もする。

お通夜を終えて、浜松にいる友人に連絡を取ると寄って行け、一緒に飯でも食おうと言う。なんか家族のためにカレーを作ったそうだが、それは別にしてくれて、それで高速のサービスエリアまで来てくれた。大した話はないけど、それでも3時間ほどバカ話をして、そしてまた高速道。ボルボの自動運転は楽だとはいってもやはり本当にねてしまうわけにはいかない。それで途中仮眠をして、家に帰ると3時、寝て起きてゆっくりと朝食を取り、そしてジムに行く。筋トレをしながら思う。24時間前に同じことをしていた。豊川のお通夜に行って浜松の友人に久闊を叙して、まだ24時間しか経っていないのか? 随分長いなと感じる。ジムを終えてこのブログを書いているが、午後からまた出かける。夜は夜で計画がある。そう簡単に1日は終わらない。1日は長いのである。毎日が長ければそれは人生はさぞ長くて生き甲斐というか楽しみがいもあるというものだ。
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