リタイアしてもお金が欲しい?
2017年10月25日
わたしが持っている金融資産の大部分はキャッシュである。株も投信もほぼゼロ。外貨建ての再建は持っているがこれもキャッシュと言える。一般に外貨は為替リスクがあるのだがあまりに取得価格が低くてもはやわたしには為替リスクはない。もちろん日本円が一番多い。さてそのキャッシュは何をしているかと言うとずっと寝ている。このブログの古い読者はご存知だろうけどわたしの資産はだいたい寝ている時間が長い。
そのキャッシュを運用していけばいくらかの運用益が生まれるからそれを生活費に充てればいいという考え方がある。いくらか貯めてリタイアするとか言う人でそのお金からの運用益をあてにしている人がけっこう多いように思う。つまり労働はもうしたくないけど、お金はなんらかの形で稼ぎたいということ。キャッシュはその元手であるということだ。
この考え方は理解できなくはないが、それは自分の労働が嫌な人の言うことだろうなとわたしは思っている。日銭が要ることは変わらなくてその獲得方法が変わっただけである。投資は労働よりもリスクは高いしストレスもそれなりにある。それが労働しているよりずっと楽でましだと思うのだろうから労働を辞めたということだろう。
働くのが毎日楽しいのであれば、なんらかの形でお金を得る方法が労働であってもそれはおかしくない。投資の方がリスクが大きいし、労働はけっこうな暇つぶしになるし。わたしは仕事はいろいろあったけどやはりやっていて楽しいからやっていた。それでお金ももらえていうことはない。
じゃあずっと働いていればよかっただろうと言われそうだが、おもしろいと言っても世の中もっとおもしろいことがいくらでもありそうだ。それからお金というモチベーションがない。労働をやめてなんかいろいろ投資をしないと食っていけないわけではないから、労働を辞めるのと投資を止めるのとだいたい同じタイミングになった。つまり稼ぎ終えたということ。自分の分をわきまえてこれ以上はもうけっこう。欲は大きくないほうだ。
もちろん労働も投資もやめましたと決めたわけでもない。ただ今はやってないというだけでいつまたやるかは気分と流れしだいだけど、基本はストレス抱えず楽しいことをやるということ。もうリスクは取る意味もない。自分で言うのもなんだけど、こうなって本当のアーリーリタイアじゃないかしら? お金が得る方法が変わっただけではリタイアしたとは言えない気がする。
アーリーリタイアして生活を質素にして静かに生きるという人もいる。じゃあ今までの生活はどうだったのかしら? いやいや贅沢してたのかね? そういう質素な生活が好きならそれで良いけど、労働が嫌で仕事をやめて、それでこれからは質素に生きるというのは、なんだか自分のお金に振り回されているようにもわたしは感じる。
自分の暮らし向きは自分がしたいようにずっと生きていて、その好きなことをするのに足りるお金を稼げばそれでいいのじゃないかしら? それも楽しく。わたしと同じようなことを言ってる人はあまり目にしないからまあ少数、いや希少意見なんだろうけどね。
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