あ、生きてる
2017年10月16日
40代50代は子育てとローン返済で金も暇もなく働きづけめだったという同世代が多い。友人と話していてもそういう話ばかりである。だからリタイア後には今までできなかったこと、旅行とかゴルフとかあるいは何か趣味とか、そういうものにじっくりと取り組みたい、なんて言う人が多い。もっとも遊ぶにも金が要るのでそれほど羽振りのいい話はできないからまあそこそこと言うレベルでということになるんだけど。
そう考えるとわたしは40代50代で、同世代がやりたっかとことをずっとこの20年やってきたことになる。毎週のように遊びに行き、国内旅行は頻繁に、海外旅行にも何度も行った。ゴルフだって一年に100ラウンドくらいやっていた。こどもが小さかったのでどこでも連れて言った。これが他の人間がリタイアしてもできないことだろう。かみさんと子どもと一緒に本当によく遊んだ。毎週遊ぶのが当たり前という家だった。
もちろん仕事はしていたんだけど、まあそんなキリキリは働かないし休みはたっぷりと取っていた。上を上とも思わずにやりたい放題で我慢という言葉はわたしの辞書になかった。国内海外と出張が多かったのでそれに絡めていろいろ楽しんだりもした。
ということでリタイアしたら、こうしたいな、、と思うようなことは特にない。今まで通りの気分で良いし、まあ気が向けば働いてもよいと思っている。嫌なことさえしないなら、あるいは金はどうでもいいなら、働くというのはけっこうな暇つぶしである。その意味では児童養護施設で働いたのも大きな意味ではその流れで、まあ酔狂とも言えた。やったなりにやりがいはあったけど。今後はもちろん働かなくても良い。
どうでもいいということである。
若い頃はずいぶん風貌が老けていると言われた。人間は苦労すると老けるんではないだろうか? わたしが年より上に見えたのは子どもの頃の体験が寄与しているのかもしれないとふと思った。40代50代と楽しく遊んだ今、同世代の人間を見ると、ずいぶん老けているなと思うことが多い。少なくともわたしより若々しいという人間はあまり目にしない。やはり20年も苦労したのと楽しくやったのでは、大きな蓄積で残るんじゃないかなって思う。
それに持っている思い出の数が違う。たくさんの思い出を家族友人と残せた。仕事はずいぶん楽しくやったけど、それでもせいぜい思い出すのは仕事自体のことではなくて派手な接待とか、出張のこととか、よくサボったなとか、そんなこと。仕事を通じて自己実現とか、社会貢献とか、そんな綺麗事さっぱりない。
リタイア後にやりたいことがそれなりにあるという人はどんどんやらないと間に合わないだろうなと思う。体力気力それは働けば働くほど落ちていくかもしれない。ゆっくりと休みたいなんてのは論外だ。死ねばいくらでもゆっくりできる。生きている間は動くに限る。
動くというのは生きているということである。生きているというのは動くということである。どこかで生き物でも見つけて、ぱったり動いてないなら死んでるのか?って思うでしょ。それがぱっと動くと、あ生きているって思う。その感覚はそのまま正しいとそう思います。
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