映画と原作

2017年08月07日
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映画・ドラマ・音楽


同い年の旧友から北海道の土産が届いた。さっそく開けて晩酌のお供に。おいしかった。ずいぶん長いこと北海道を車で回ったそうである。6000キロ走ったとメールで言っていた。車は軽をベースにしたキャンピングカーで400万円近くしたらしい。先日見せてもらう機会があったが立派なものであった。それに奥さんと二人での旅行。彼もリタイアライフをエンジョイしているようだ。

よく映画と原作の比較という話題を聞くが、たいてい原作の方が評価が上になる。わたしが思うにその理由はまず本の方が中身が多いから映画にするとどこかはしょることになる。わたしは文庫本でだいた1時間で100ページ読む。本は400ページとかざらにあるがそうすると4時間である。だが4時間の映画はないし、わたしは読むのが速いほうだけど、それでも映画にすると2時間の映画だと本では200ページにしかならない。どうにも映画に分が悪い。

黒澤明監督の映画羅生門は非常に高い評価を受けた名作だが、原作者は芥川龍之介。だが原作はわずか10ページほどである。およそ原稿用紙で15枚ばかり。映画の常識ではでせいぜい10分もあれば終われる。クロサワはそれを88分の映画にした。これなら超天才芥川に対して天才クロサワで勝負になる、ということではあるまいか?

それからこれが大きいのだけど、本は読み手の想像力を利用する。本に書いてないことまで読み手は足す。映画になるとそれがない。見たままになる。それでますます本が有利になると言う構図である。

バンテージポイントという映画を見た。原作というか本はないと思うけど、これは映画でしか表現できない世界である。これを元に本を書いてもたぶん映画ほど面白く書けないと思う。わたしが参考にする映画サイトで超映画批評というのがあるけど、ここで95点。まさに映画ならではの世界だと思う。こういう作品に触れると映画好きとしては嬉しくなる。

まあ手短に言うなら、言葉では表現しきれない映像を作ってしまえばいい、ということだ。映画監督で天才との評価を受けるクエンティタランティーノだが、彼が凄いのはそこである。言葉にできない映像を作る。それは映像美というような技術的な話ではない。例えば人が死ぬ。人が死ぬという厳かな出来事は、本では読み手がそういう先入観を持っているから、そこから出て行きにくい。映画ではそれが、人の先入観を飛び出た表現が可能である。彼はそのあたりを計算して作っていると思う。

わたしは本よりも映画を好む。子供のころは本ばかり読んでいたが、歳を食えば食うほど映画の方が好きになる。その一方でたくさん文字を書いている。そして書いても書いても書ききれないと感じる。それは自分の文章力の稚拙さよりも、文字とか言葉をどこか信じていない自分がいるということだと感じている。たぶん成長期にあまりに信用できない言葉をたくさん聞いたからかもしれない。もちろん映像の嘘もちゃんと頭には入っている。そこは理論と感覚の差である。子ども心というのは大人になってもちゃんと心のどこかにいると思う。

こういうことはいつ考えるかというと美味しいものを食べながらである。土産でももらうとペンというかタイプが進む。全然関係ないようでなんかあるみたいである。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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