感謝の気持ち
2017年07月26日
感謝の気持ちを持て、なんてよく言う。いつも他人の悪口とか、愚痴、不平不満を言っている人間とは別次元の話なんだけど、感謝をするって言葉を軽く使う人間も多いとわたしは感じている。
今のわたしがあるのはそれは多くの人に支えられてきたからです。感謝しています。そう言うことを言う人はかなり多い。そう思うのは自由なんだろうけど、多くの人に支えられているとすると自分も多くの人を支えていかなきゃならないよね。
支えて支えられてそれが世の中だと、そう思うのかもしれないけど。自分が世の中の役に立っているとか誰かを支えているとか、それって思い上がりじゃないか?てわたしはそういう気分がどこかにあって少なくとも口には出したくないし、それと対になって感謝の気持ちがあるとするなら、なんかそれ違うんじゃないのってわたしは感じるのかもしれない。
自分自身の実感として自分は誰かを支えるとか世の中の役に立つとか、それは結果としてはそうなったこともあるんだろうけど、少なくともそれが目的でわたしは生きているわけじゃないって感じている。ただひたすら生きてきただけ。
じゃあお前は感謝の気持ちはないのかと問われると、世の中の多くの人とわたしと同じ意味で感謝て言葉を使ってないかもしれないけど、わたしにも今の自分を思えば感謝の気持ちってのはある。でもその感謝の気持ちに方向性はなくて、なんと言うか、道端を歩いて見かけるレンゲソウにも感謝の気持ちを感じるってもので、関わり合った人に感謝するってのとは違う。この世界全てのものにただただ内面から湧き上がるように感謝したい気持ち。
それはもちろんお世話になった人はいますよ。かみさんなんて感謝してもしきれないってそういう感覚があって、しきれないから感謝って言葉じゃ十分じゃないってことで感謝って言わないくらい。少なくとも上に書いたような関わり合った人たちに広く感謝するってのとは意味が違うって思っているし、そういう気持ちをもつ対象は限られている。
今いろいろ文章を別に書いていて愛着障害についてもまとめているんだけど、ここで手荒に書くと、子どもの時に親から大切にされないと愛着障害になる。特に3歳くらいまでの影響が大きいのでわたしの場合はまだ御曹司の生まれだからましだったんだろうけど、でも物心ついた記憶は激しい夫婦喧嘩だし、その後ひどい扱いを親から受けたから、やはり自分に愛着障害はあったんだなと、それは調べれば自分に当てはまるからわかる。
愛着障害てのは根っこは自分が安心できる存在だという充足感が足りないということ。人間は愛されることで守られていると言う安心を感じる。それがないと不安でいろんな症状がでる。わたしの場合は大人が嫌いで信用しなくなった。今でも簡単には人を信用しない。もっとも今は信用しないってことでもない。信用するとか信用しないとかと別次元で人とつきあう傾向がある。どんな立派な人間でも気持ちが揺らぐときもあるし、悪い奴でもピュアな気持ちになる時があるって思っている。これは間違っていないと思うけどそれを強く感じているということ。だから信じていたのに裏切られたなんて怒ることはないし一方ひとの好意を自分に都合よく期待もしない。これはたぶん愛着障害を自分で乗り越える過程でそうなったものだろう。
それから社会を肯定的に見なくなった。これは今でもはっきりそういう傾向がある。もっとも今のわたしは、世の中おかしいから自分が儲かるって気持ち。おかしいなりにうまいことやればいいだけのこと。これも成長する過程でそう思うようになった。
結局愛着障害の克服には、自分自身が安心できる存在という確信を養わないといけない。自分で自分を肯定する気持ちということなんだけど、これには普通愛してくれる誰かの存在が必要なんだけど、わたしの場合は自給自足でやっちゃった。自分で自分を守って肯定した。それは問題もあったけどある意味よかったとも言える。自分てのがしっかりあるから。変だなと笑う人は幸せなんだろうけど、なければないなりに生きるしかないからね。愛着障害はなんらかの方法で克服しないことには社会的に折り合っていけない。
ということでおかしなブログを飽きもせずに長年書く変な奴だと思う人は多いかもしれないけどちゃんと切ない理由があるわけだ。自分の納得とか美意識にこだわりが強いのも、おそらく愛着障害の克服が関係している。自分こそ自分で強く信じなきゃということ。今は幸せな家庭に恵まれてだいぶ柔いだけど消えてなくなるってことはたぶんない。ただ愛着障害にも今は感謝していますよ。そんな悪いもんじゃないてね。
児童養護施設の子どもにもよく話したけど、与えられた環境は選べないからそこからどうするかってことで、それを具体的に考えればいいだけのこと。そこはシンプル。上に書いたようなことはみんな後から思うこと。知恵を絞り納得のいくよう懸命に生きよ、それがわたしの子どもたちへのキーメッセージ。自分が自分に言い続けてきたことである。施設では多くの善意に感謝しなさいなんて教えるけど、どら猫は感謝なんて自分でひねり出さず相当後から自然と感じればいいものだろう。
もちろん良い子に当てはまる話ではない。
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