お金と人生観

2017年07月03日
0
0
マネーと生活
わたしは現在資金のほとんどがキャッシュです。外貨も持っているけどそれも所謂キャッシュです。株も投信もほとんど保有していない。そういうことですから何があっても増えも減りもしません。お金がどれだけ必要か? わたしは自分でわかっています。ここまで儲けたいけどこれ以上別に増えなくてもいいわけです。まあ損したことが一度もない不敗のハルトモ君ですからいい気分でそのままいたいという面もあります。

投資の目的というのはある意味わたしのようになることです。いくら儲けてもわたしのような気分になれないとしたらそれは自分というものを見直すほうが良いのではないかと思います。おそらく自分がわかっていない。

お金は道具です。その道具としてのお金が自分の価値観から見て、あるいは自分の生活感から見てどれだけ必要か? それがわからないと、儲けたいけどどれだけ儲けたいかわからないという本末転倒の話になります。肉食動物が自分で自分の満腹がわからないでひたすら殺生を繰り返すとしたらどう思われますか? そういう話です。

平たく言えば強欲とか身の程知らずと表現してもいいのですが、世の中には逆の身の程知らずもこれまたけっこういるので笑ってしまいます。より幸せになることを自ら放棄した人たちとでも呼びましょうか? 書いたようにお金は道具ですからアクティブに生きればそれはそれなりにお金は必要です。そのお金をむしろ否定することで、自らの幸せをも放棄する。こういう人たちもたくさんいるようです。

前者と後者、文脈上ご判断くださればわかると思いますが、対極のようでいて実は共通点がある。自らの価値観を十分に育てることなくお金の威力に己を委ねているということです。まず自分というものを確立して、さてそこからという順序が、逆転とは言わないまでも渾然となって収拾がついていない。なんとしてもお金が欲しい人とお金を稼ぐのは面倒なのでなしで考える人と。どっちもお金に振り回されているとわたしには見えます。

わたしがとても幸運だったのは富裕な家庭に生まれて御曹司として育ちそしてそれが崩壊して一家離散で児童養護施設まで行きそこから自力で這い上がったこと。この過程で自分とお金の関係を子供のころから整理して自分の価値観を養えたことです。お金は間違いなく従だという当たり前の結論が心のそこからわかっていて、お金の威力も便利さも同じくわかっている。

人生はお金だけじゃない、言えば簡単に響くこの言葉。でもまるで思考のスパイラルを数回転ネジリ上がるように次元の違うレベルにて得心することで己の中に落とし込み自分なりの人生観になる。そんな気がわたしはしています。
関連記事

Comments 0

There are no comments yet.

コメント投稿

Trackbacks 0

Click to send a trackback(FC2 User)
この記事へのトラックバック
更新順
同カテゴリ