勝敗をわけるものは手法じゃない

2017年07月02日
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株式投資


娘が彼氏を招いてディナーをふるまうそうでその練習を行なった。それを許可を得て試食した。お父さんのために作るって話はない。

いろんな投資方法があるのでそれをいろいろ比較したくなる気持ちは理解できなくはない。それで細かに手法の優劣を検討する。材料はその辺りからいくらでも収集できる。目的はより優れたと思える投資手法を選択するためである。

でも実際投資で儲かる人は本当に少ないという絶対的事実は変わらないからほとんどの人は自分の負け方を選んでいるということになる。どんな手法を選ぼうが大多数の負け組と少数の勝ち組にわかれるのである。

Aという手法を選ぶと100人中五人が勝つ。Bという手法だと100人中七人が勝つ、とかそういう話。まあこの10年くらいは割りと勝っている人は多いですよ。でも次の10年20年で多数の今の勝ち組は消えるてのはこれはたぶんそうなります。歴史に学ぶまでもない自明の理。

なんにせよいろいろ考えてAの方が有利だと思えるからAを選ぶとして、これって少しでも偏差値の高い大学に行ったほうが将来うまくいく確率は高いって思う気持ちと一緒だね。ラットレースの参加者の典型的な考え。

わたしがこう言うとわざわざ不利な方を選ぶことはないだろうって反論が来る。大学だって東大に入れるなら入ったほうが有利でわざわざ偏差値の低い大学に行くことないだろうってね。わたしが言っているのはその有利不利の判断が根底から違っているかもしれないって少し疑ってみればという話なんだけどね。

投資手法でポピュラーな話題は、例えば集中投資と分散投資はどちらが優れているかという話。これって素人でも似非玄人でもまず分散の方が優れているって言うだろうね。リスクは分散した方が安全だ、ってそれは簡単に信じ込んじゃう。みんなそう言ってるし。

でもこれもわたしに言わせればケースバイケースというか臨機応変というかどっちがどっちって比べるものじゃない。わたしは集中も分散も両方やります。分散のほうが危ない場合もあるし集中の方が安全な場合もある。当然そっくり逆もある。リスクだって手の内に入れてないといけない。コントロールできないリスクなら取らないほうがいい。

わたしがいつもここで書いていることは基本的には素人は株も為替もやらないほうがよいだろうって話だけど、もしどうしてもやりたいなら、とても危ないところだから自分の間尺に見合った目標を設定して、戦線を広げずに勝負をしている時間を短くすること。それでうまく行っても行かなくてもさっと身を引くことだろう。

そういうことだともしも株で一発あててやろうって目論むなら集中投資になるだろうね。人生で勝負どきというのはそんなないけど全然ないわけじゃない。そのチャンスを生かすかどうかって時に散らしていたらいわゆる被搾取階層からはのしがれない。乾坤一擲、信長にだって桶狭間があった。相続もない普通のサラリーマンがゆとりを手にするためには一発当てようってのはそれはある。でなきゃ長い家のローンでも払い続けて搾取されるしかない。

一山あてるって考え方がおかしいて言う人も多いけど、これも思い込み。コツコツ散らしていつまでもやっている方が時には危ない。一山だからそんなチャンスはない。不運にも一山当たらなくてもそれは仕方ない、そこで辞めなきゃ。運良く一山当てればやはりそこで終わりがいいが、それができないから、一山狙ったことが間違いだったと勘違いしちゃう。一山は一山ですよ。大きい小さいはそのひとの器量かな。


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Comments 2

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run**una*00687  

No title

娘さんのお手前は如何でしたか。

2017/07/02 (Sun) 14:44

ハルトモ  

No title

かみさんと一緒に作ってますんで、まあまあです。

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