後悔先に立てる

2017年06月28日
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人生の考え方
後悔先に立たずなんてよく言う。人生を振り返って人はどんなことで後悔するのかとネットで調べてみると、これは様々であるけれど、その中でわたしが注目したいくつかはここで詳らかに書かないが、いわゆる処世術として好ましい人間像を含んでいるというのが興味深い。つまり社会生活をしていて良識ある振る舞いと目される行動なのに、その行動をしたことを人間は最後後悔しているケースが多いということ。

わかりづらいかもしれないので一つだけ例を挙げると、人の意見を尊重したり他人への気配りも良いけどもっと自分が好きなことを人の意見や視線を気にせずやればよかった、なんてのがある。でもこれ実際にやったら、ハルトモ君みたいにけっこう軋轢を生じる。社会生活的にはあまり好ましい大人像とは見なされていない。

わたしなんかのつきあいのある同級生だとこの手合いがけっこう多いと思われる。わりと高学歴で立派な肩書きもついている。みんなよい子で育ってよい子がそのまま良い大人になったわけだ。子どもの頃よい子にしていればなんかいいことがあると大人は示唆する。その通りずっとよい子で生きてきてさてけっこうな歳になって、ずっとよい子でいたほどにはそれほどの満足感が得られないのは果たしていかなることか?となるとまあこれは後悔になるってことだろう。

わたしが思うには後悔をしない選択はそれほど難しくない。嫌なこととか間違っていると思うこととか、あるいは自分で格好悪いなと思う選択をしなきゃいい。だがその選択を実行するとたちまち様々なトラブルを抱えることになる。いろいろ角が立ち住みづらくなる。目先の損をすることもある。実行にはかなりの障害が伴う。それを避けるということは実はそんな難しくない。慣れ親しんだよい子でいればいいのである。

さてそれでなんだかんだで生きてきて、それである程度組織で偉くなって人に今までほど気遣いをしなくてよくなったり、あるいは引退してそういうしがらみから抜けたりすると、だんだん我が儘になっていく人間というのも多いという印象はわたしは持っている。長年我慢してきたからこそ余計そうなる。わたしに言わせるとこれはこれで格好悪いと思うのだが、世の中の多くの人間はこの傾向がある。会社で言うなら上と下ではずいぶん態度がかわる人間。本人は礼儀正しいと思っていて、上にはそれを実行して下には自分がしたように求めるとそういうことになる。

おもしろいなと思ったのは、いろいろ挑戦して好きなことをやった人間というのは、それによって抱えたトラブルとかあるいは人に迷惑をかけたとかで後悔することはあまりないみたいだ。そういう事例がほとんど出てこない。結局己の納得といういつもわたしが言う言葉に収束する。失敗しても納得してやれば後悔はない。成功すれば? それは大笑いだ。悪くない勝負だと思うけどね。
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Comments 4

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ベトナム  

No title

こうしたらよかったという言葉には そうすればきっとこうなった はず...という甘い思い込みがあるんですよね 違う道を行っても必ずしもよくなっていたとは限らないのに
だから後悔ばかりするような人はどっちに行ったとしても、結局後悔するんだと思いますけどね

2017/06/28 (Wed) 18:22

ハルトモ  

No title

ベトナムさんは後悔するメカニズムはないとお見受けします。わたしも今のところ後悔は全くないです。批判したり反省を迫る人はたくさんいますので、一応反省はしています。まあ懲りないという面はあるにせよ、反省と後悔は違いますね。

2017/06/28 (Wed) 18:37

ベトナム  

No title

なんでも一生懸命やると 結果はどうであれしょうがないと思えるので後悔というものはありませんね でも反省... もあまりしませんかね (笑)

2017/06/28 (Wed) 20:29

ハルトモ  

No title

反省したふりとか、、

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