その連中と現代の奴隷

2017年06月21日
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人生の考え方
古代ローマでは労働をすることによってお金を得ることは卑しい行為とみなされていたそうである。だからか例えば、官吏、医師、会計士、家庭教師、こういう知的労働も奴隷の仕事であった。つまりありとあらゆる労働は奴隷によって為されていた。奴隷は長年働くことで自由人になる道が用意されていた。奴隷には婚姻も許されていた。優秀と見なされれば子どもの奴隷に高等な教育を施されることも多かった。良質な労働者を育成するためである。

こういった奴隷以外にいわゆる現代人がイメージする奴隷というのももちろんいた。特にローマから離れた農場や鉱山の労働者は厳しい環境であったと想像されるが、それでも農民が自分の馬とか牛をどう扱うかを考えればその程度以上にはそれなりに大切に扱われた。特に小さな農場では家族同様に大切にされた。

そうやって考えるとローマの奴隷は、我々が言ういわゆる奴隷とそれから普通に労働に従事するサラリーマンまで含む広範囲なものであったと想像される。日本のサラリーマンは住宅ローンを長い事払って定年を迎えて年金でも貰うとようやく自由人になるというイメージはある。それがもう一億総活躍社会だと一生働かないといけないとしたらそれは解放されない奴隷というイメージに近い気がする。

働くということにお金を獲得して生活を維持する意味以上に高邁な価値を与える考え方は一般的に上等な思考と目されているけれど、生きるという根源的な意味を考えた場合、あるいは生きるとはすなわちどういうことかと考えた場合に、多くの労働は人間が勝手に作り出したゲームをしているに過ぎないという見方はこれはかなりの哲人も持っている。この世そのものが幻のようなものであるとも言える。

別に働くという行為が低俗なものとか意味がないとは言っていない。労働は大切なものでそれがないとこの人間社会が回らないのも事実である。だがその労働の意味が必要以上に高邁なものと扱われて、より労働を加速させて、それはそれで構わないとも言えるのであるが、その結果それを利して得をする連中がいるという現実を現代の奴隷たちはよく考えないといけないとわたしなど漠と感じている。

ローマ時代の市民に相当するその連中は、資本主義者社会ではローマ時代より周到にカモフラージュされている。例えば自らも奴隷に扮して組織を御旗に立てる。組織への忠誠を誓わせ、そして自分はその組織でうまい汁を吸うという巧妙な搾取の構造を発明した。そういう連中は決して主人のために奴隷に働けとは言わない。組織を守ることが自らを守るためだと、それは全く嘘ではないがうまいことしのいでいるのはその連中である。

なぜこのサイクルがうまく回るかというとこれは子育てと教育による部分が大きい。ローマ時代にも奴隷を教育したがそれは市民というか所有者の判断と金であった。ところが現代の奴隷は自らの子供を立派な奴隷にすべく決して厚いとは言えない財布から教育費を捻出する。子供はこどもで親の期待に応えるべくラットレースに邁進する。奴隷が奴隷を自発的に再生産するのである。これもローマ時代よりだいぶ進化している点である。

その連中の姿は固定的ではない。その時その時で変わっていく。ラットレース出身でその連中の仲間入りをすることもまあ少ないがいないことはない。それくらいの夢?がないとガス抜きにならない。だがローマ時代だって、奴隷から宰相になった人間もいたくらいで、そんな少数がいたところで大きな仕組みはどうということもないのである。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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Comments 3

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ぽん太  

No title

>周到にカモフラージュされている

私のようにカモフラージュに気づかない人間には、もっと具体的に書いていただけないと分かりません。
お願いします。

2017/06/24 (Sat) 10:24

ハルトモ  

No title

わたしもよくわからないのです。

2017/06/25 (Sun) 10:54

ぽん太  

No title

なるほど・・・。
タブーなんですね、多分。
ありがとうございます。

2017/06/25 (Sun) 11:31

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