儲けより余裕を考える

2017年06月12日
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株式投資
儲かってお金が増えるに従い余裕もますんじゃないかなって思う人がいるとしたら、それは正確じゃない。間違いとまでは言わないけど近い。あくせく働くことをどう思うかその人次第だけど、そこからエスケープし労働しなくても投資で生活が成り立てばどんなに楽かとやってないとそう思うけど、実際投資を行うことでむしろ労働していたときよりも大きな不安とか焦りを抱え込む人が多いとわたしは思う。

労働というのはある意味計算できてそれで自分さえ納得しているならリスクとリターンはバランスがある程度取れている。それが不動産でも株でもこれは自分でコントロールできにくい部分が増えてくる。ましてや損をするという恐怖は労働にはない。さんざん働いた挙げ句に給料日に自分が金を振り込む羽目になることはないのが労働の良いところである。

労働も投資でもどっちも本質は同じなんだけど、いただくお金の額ではなく、獲得する余裕の量というか大きさというか、そこに注目して、その上でお金とと余裕のバランスをコントロールすることが凄く大切だと思う。結局お金は道具であるからそれをうまいこと使いこなしてそれで自分自身が気持ちも物質面も豊かに暮らせればいいわけある。

仕事でも会社との距離感をどう取るか、ここまでは自分はストレスを感じず楽しくやれるけど、これ以上はやりたいって思わないそういう線があるはずで、その線に無頓着で、例えばボーナスや給料が多いほど良いとか、昇進すればするほど良いとか、これでは自分で自分のストレスが手の内に入らない。人からコントロールされて金にも使われるってこと。

投資も同じである。お金を得たいというのはそれは当然だが、心の安寧をかき乱して自分自身がストレスを抱えていては、それで毎日が楽しいのかって本筋の話しがどこかにいってしまう。結局金を儲ける目的は楽しい生活をしたいわけだから、そこが犠牲になるってことは、たこが自分で自分の足を食っているのと同じだってこと。

まあ儲けるにしても身の程をわきまえよって平たい話しである。儲けた順に幸せになるわけじゃない。どこかで足りるを知ることなんだけど、このどこで満足するかってレベルが大多数の人がわかっていない気がしている。だいたいは望みが大きすぎる。仮に投資をして儲けた人が10%で損した人が90%ならそれは90%の人間が高望みだったことで間違いなくて、勝ち組がかなりの少数という事実がずっと安定して変わらないってことは、みんないつでも高望みってことです。

よく余裕資金なんて言葉を聞くけど、余裕資金なんて持っている人がどれだけいるのか? わたしが言う余裕資金てのと大多数の人が言う余裕資金てのはだいぶ意味が違う。イメージしてください。余裕ですよ。余裕綽々って言うでしょ。本当に余裕があるならもう儲けなくてもいいじゃないですか? 投資なんてしなくていいわけですよ。

それを投資で増やしたいって思うならやはり本物の余裕とは言えないってこと。まあ別に余裕がたっぷりとなくてもそれは仕方ないと思うけど、そこはわきまえてやれってことです。どちらかと言えば絶対損できないって必死の取り組みのほうがまだ負けにくいかもしれない。余裕がないなら勝つことよりまず負けないってことが大切だから。余裕なんかないのに余裕資金で、、なんて勘違いするのが危ない。

サラリーマンの退職金は、ほとんどの人間にとっては余裕資金じゃないです。大切な虎の子、損する損しない儲ける儲けない以前に危険にさらさないことだと、わたしはそう人にはアドバイスしている。やってもどうせ多くは損するし、何十年の労働の後払いですから万が一にもつまらん判断で減らさないこと。今は地合いがいいのでよい結果を得ている人もいるけど、、老後は長いでっせ。一度ひどい目にあって、それでアウトってことになることは考えておかないと。
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