ギリギリの生き方

2017年06月07日
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人生の考え方
働き方改革というがなかなか簡単には楽にならない。いろいろ理由は言えるが結局それだけ働かないと暮らしていけない状況にあるということである。会社をクビになっては困るしもちろん人並みかそれ以上に昇進したい。今の生活を維持するためには働き続けるしかない。だから毎日が大変だ。そんなNHKの特集を見ていて思った。いったい何が問題なのか? 

実例である一家の家計が紹介されていた。夫の手取りが30万円。マイホームを買ってまだ日は浅い。そのローンの返済が月に9万円。生活費は10万円、それから子どもの塾習い事の教育費で毎月5万円から10万円、そのほか将来の進学のための貯金、その他車の維持費や生命保険もあるだろうから確かに大変は大変だ。

だが暮らすだけなら月10万円で暮らせるのである。それがギリギリになってしまうのは住宅と教育費があるから。これらに金をかけすぎでないか?ってわたしは思う。住宅ローンはボーナスでも払うだろうから年間200万円くらいたぶん払っている。子供は塾か習い事か、あるいは私立校か?きつく言うなら自分で自分の生活を追い込んでいるとも言える。こういうことを直接言えばきっと怒り出すだろう。自分たちは必死にギリギリで生きているんだと。

この日本ではギリギリで生きている人たちの繋がりで雁字搦めになっている大きな集団がある。同僚もギリギリ、上司もギリギリ、部下もギリギリ、取引先もギリギリ、顧客もギリギリ、そして家族もギリギリ、へたすりゃ子どももギリギリ、みんなでギリギリ。シナジー効果とでも言おうか、集団としても個としてもそのギリギリ度は極限にまで高められていく。だが会社では効率だとか家庭では将来のためとかそれぞれに錦の旗が立ち自然と追い立てられて行くから一歩引いて疑うなんて暇はない。

そこから抜けるにはそういうサークルには入らないって選択を個がするしかない。政府とか会社の改革で助けてもらおうってのはこの国の価値観のコペルニクス的転回が必要だから、まあ平たく言えばすぐどころか当分無理だ。自分の幸せは自分で築くしかないという基本はこれはいつでもどこでも有効だろう。

そんな選択できっこない。て言う人は言うからそれはその人の言うとおりで、できっこない。自分でできないって言ってるんだから。まあみんなというかほとんでできないわな。

自分がサラリーマンの時にそれは何度も徹夜はやった。でも抜くときは抜いた。決して擦り切れるほどは働かなかった。よく遊んだしよくさぼった。

まじめな部下が明日の朝までに社長用に資料を作ると必死に取り組んでいる。いわゆる社内説明用の資料だ。それがなかなか終わらない。そこでわたしが手を出してやる。しゃかしゃかわたしが数字を入れてさっさと文章の流れを書いて、これでまとめろと言うとすぐに終わる。

部下が驚く、これでいいんですか? 数字合ってないですよ。それにこういうシナリオでコンセンサスは取れてないですよ。わたしが言う。いいんだよ。合ってなくても。そこは社長見ないよ。見るとこだけあってりゃいいの。ばれたら適当に俺が言い訳する。ただ後からゆっくり直しておけよ。それからその社内調整は後でも大丈夫だ。聞いてないですって言う奴には今聞いているだろうって俺が言うから。

そんな仕事ぶりだったけどそれで破綻はなかったのはかなり要領がよかったんだろうけど、それ以上にそれで社長が怒っても構わない。社長の機嫌なんか知るかって気があったのが大きかった。万が一にもミスをしたくない、社長から嫌われたくないともしわたしが必死になれば、それこそわたしもギリギリ仲間の一員だけど、わたしは別の選択をしたってことだ。今となって懐かしい。

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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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