帰属貴族

2017年06月04日
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人生の考え方
わたしの出た高校がサッカーで県インターハイの決勝まで行ってそれで卒業生が盛り上がって応援に行うという人間も多いとFACEBOOKで知られる。もし全国大会出場となれば久々の快挙ということでそれはまた大盛り上がりとなろうかと思う。私の記憶ではわたしが在学中に冬の選手権に出て準優勝だかしたはずだ。決勝の相手は確か帝京だったか? インターハイがどの程度の盛り上がりかよくわからないけどやはり全国大会だから大したもんだろう。

わたしも良かったな、頑張って欲しいなとは思うことは思うのだけど、これは人間の心の中のことは秤で量れないのであるけれど、たぶんわたしは同級生の半分かいや数分の一くらいの盛り上がりでないかと自分で感じている。そんなエキサイトするようなもんでもない。むしろ今やっている世界卓球とかテニスの全仏オープンとかの方が興味が高いくらいだ。

組織とか集団に属することが好きでないのである。これは高校に限らずに過去に自分が所属した組織、学校、企業でも同じようなもので、以前会社で上級管理職向けのセミナーコースで心理特性検査を受けて、それで組織に対する帰属意識とか忠誠心(愛社精神)が記録的に低いという結果が出て驚かれたことがある。会社というのは幹部になるとその組織を好ましいと感じる人が圧倒的に多いのだけど、わたしの帰属意識は新入社員以下だということで、それを聞いてわたしはこれはなかなか正確なテストだと感心したのを覚えている。自分でなるほどと思ったからね。

自分が属する組織とか集団がいわゆる世間一般で上等なものであればあるほど、その組織に属することを好ましいとか誇らしいとか感じる人は多くなる傾向はたぶんあると思う。一流大学卒の肩書きとか、一流企業勤務とか。これは個人で仕事をする人間でも同じで例えば医師とか弁護士とかの資格を持てばその世界に属するわけでそのいわゆる自分の肩書きを誇らしいと感じるかどうかというわけだ。帰属貴族とでも呼ぼうか? 肩書きを持つということはそういうことである。

わたしは一人で仕事をするのが好きでチームで仕事をするのが嫌いなのとか?というとこれは実はそうでもない。一人でやる仕事もチームでやる仕事もそれなりに面白味はある。だから一人でいるのが好きというのではなく集団に属することそのものが嫌なのである。自分が絨毯の織り目に縫い込まれるような窮屈さを感じるとでも言おうか?集団の一員となればそれなりのらしき振る舞いとかが求められることも多いし、その組織の一員であるという目で人から見られるもする。それが有り体に言うなら不愉快である。

敢えて言うなら自分が集団の一員と見なされて違和感がないなと感じるはそれは日本人であるということくらいか。これは愛国精神があるのかどうかという話しではなく、自分でそう見なされていやじゃない。まあ多国籍企業で日本人らしくないとは言われたけど。
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