忖度を逆手に

2017年06月02日
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サラリーマンライフ
忖度という単語は悪者のように扱われるけど、これは実は忖度そのものが悪者というより忖度に接する人間のデリカシーのなさが問題だとわたしは思っている。トヨタの豊田社長とかそれから安部首相とか、日本を代表するおぼっちゃんは自分が子どもの頃からずっと忖度されてきたという実感はうすうすあってもまさに薄い。生きていればいろいろあるから自分なりに苦労した気にはなる。だから世の中の人が自分にそんな忖度をしているという実感はない。でも自分が貧乏な家に生まれたらそれこそ天地がひっくり返るくらいのギャップがあるのだが、そんなもの一生知らずに終わるのがおぼっちゃんであろう。忖度というのはおしなべて弱者が強者に行うものであるから弱者を経験したことがないことには実感として知りようはないのである。

忖度いうのはそれぞれのレベルがある。豊かな家に生まれれば親の力があるから子供は親の程度に合わせて忖度される。中流の家であれば中流なりに忖度される。わたしのような下層の出であれば忖度はないので、少しでも忖度されればすぐに気づくが、世の中の多くの人間はそれに気づかず自分の実力と勘違いする。

おぼっちゃんの忖度への認識の甘さ以上に、実は十分わかっていて忖度を利用する輩もいる。自分の保身と利益誘導のために相手に忖度を要求する輩である。自分はなにも要求していないと言い逃れることを最初から考えている。こういう輩とおぼっちゃんがミックスアップして混沌とする。

忖度をする人間の動機のほとんどはやはり自己保身であるけど、わたしみたいに世俗的な自己保身から超越していると面白いことができる。つまりだ。上が忖度を求めてはっきり言わないから、それをわかったふりをして頷いて、その上で自分の判断でどんどか進めるのである。まさにわたしがそうであった。上がはっきり言わないということはどうにでも解釈できるから自分で自由にできる。はっきりと指示されるとさすがにサラリーマンだから命令には従わないといけない。

上が変だなとおもって指摘してもすでに事態は進んでしまって元には戻れない。ざまあみろである。もちろんわたしは自分のやりかたで結果を出すのであるからその上での話だけど。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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