怒りとか憤りとか、苛々するとか、ムカつくとか、これは感情の状態だとわたしは思うのですけど、何かに反応するという受動的なものですよね。自ら考えて苛々すること選択したなんてことはない。つまり行動ではない。行動というのは自分で何か考えた結果自ら動くということですから。
常に行動を考えていればそういう受動的な感情を滞留させている暇はない。仮に頭に来たってそれはそれで来たものはしかたないけど、いつまでも怒っていても何も起きません。それでどうするんですかと、すぐに考えないと次の行動に結びついていかない。
そうするといわゆる世間的な意味で怒っているという感情を保持する時間はないとかあるいはあってもぐっと短いってことになります。怒ってもぐっとそれを抑えるというのは、これは内的な意味では行動と言えるかもしれないけど、生産的な意味はないし、そんな行動を選択するくらいなら、もっと状況を改善するいいアイデアを探した方が良い。そしてそれを行動に移す。
行動をするとなるとそれこそ考えるとことは多くなります。行動の下調べから準備からそして行動の詳細段取りも詰めないといけない。後の振り返りだってある。ということで行動とすることによってますますおつむは忙しくなります。怒りでワナワナなんてやっている暇はない。行動をしない人はあまり考えていないという傾向はあります。
そうやって行動をどんどんしていくと自分が主体的に動くという状況になってきます。ここで考えてください。もし誰かに憤りとか怒りを感じたというのは、それは誰かの行動に対してですよね? 誰かが何もしなきゃ腹も立たないでしょ? つまり相手の行動と自分の受動的な非行動という状態。言うならその瞬間においては相手の方がアクティブなんですよ。主体的に動いて自分がアクティブになればそういう状況になりにくいので、よけい怒る機会は減るでしょうね。
まあ逆に誰かをいらつかせたり怒らせたりする機会も増える可能性は高いのでそこはまたどうマネッジするかという問題も出てきますが、そこまで行けばひとまず大したものです。
写真は浄土ヶ浜のカモメ、せんべい取るためにかなりアクティブである。
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