働かなくても食っていけるのは幸せ?

2017年05月26日
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人生の考え方
わたしの境遇であるけど確かに労働をしなくてもなんとかなる。友人知人は、働かなくても食っていけるなんて羨ましいと言うけど、わたしにすると働かないということに憧れたこともないし、それを目標にしたこともない。働かなくてそれが幸せだともそんなふうには思わない。

世間の多くの労働者は働くという感覚がわたしとちと違うのかもしれない。働くというのは自由にできずに人の言うことを聞いて、嫌なことも我慢して、、、とその代わりに給料をいただく。ずっと昔サラリーマンの給料は我慢代だとか誰かが言っていたのを覚えているけど、そうであれば働くという行動はあまり楽しいものでもなく、自由にできるものではない、という前提に立っていることになる。

もし働くという行為がその意味であればわたしだって働きたくない。でもそうでもないんじゃないですか? てこのブログでわたしが何度も言っているわけ。多少の制約があるのはそれは趣味でも遊びでも同じでそれはゲームのコンディションと考えれば、その上で楽しくゲームをこなす。つまり働くというのは可能ですよ。難しいかもしれないけど、いやいややるくらいならいなら、一工夫して考えてみる価値はあるってわたしは思う。

それに我慢してずっとやらなくてもだったら他のことをやればいいじゃないかって思う。大して考えることもなく行動もなく、ただ嫌で逃げるってのはダメに決まっているけど、まあ例えるならわたしくらいに凝っていろいろトライしてそれでダメならしがみついても仕方ないってそう思うけどね。

つまるところは自分の納得ということなんだけど、もっともこの納得というのはくせ者でその時は納得していても後から後悔するっってこともあるし、あとから自分でむりやり納得するなんておかしなプロセスを取ることもある。こうやって子どもを育てて家族となんとか生きていけるんだから長年我慢したのは間違いではなかったとか、これは現状に感謝するって気持ちは間違いじゃないけど、それは我慢したからそうなったてのは思考が飛んでいる。もし今幸せならそれはあなたがちゃんと頑張ったからで別に嫌なことを我慢したから幸せになったわけじゃない。

どちらかと言うと我慢して後から後悔することの方が多いわけで、将来どうなるかは誰もわからないから、今我慢すれば将来ハッピーて期待するサイクルはそもそも無理がある。よほどの確信でもない限りは自分が嫌なことを我慢してやらないほうがいいってわたしは思う。

それでどうなる?って話しはもちろんあるけど、それは同じく一生懸命頑張ればいいんでないかね? こんなこと書くとそれはハルトモだからできるんだって言う人間がいるんだけど、そんなわたしと何が違うんだって、だいたいわたしのことなんかそんな知らんでしょ。そういうこと言う人は自分のことだってどれだけわかっているか怪しい。ただ間違いないのは無理だって思えばそれは無理だ。人生ってのは勝手に期待以上のことが起きるてのはあまりないから。
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