365連休

2017年04月20日
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日々の雑感ーリタイアライフ
昨年の4月、児童養護施設の仕事を終えた。それから約一年、ずっと、一日たりとも働いていない。アルバイトを含めても高校を卒業して以来これほど長く働いていない期間は初めてではある。自分では暇だ暇だと言っているが、これは時間の融通が効くという意味であって、別に退屈ではない。やることはいくらでも見つかるしやらないというのもよい時間の使い方だと得心している。

この世でほとんどの失業者は将来の生活に不安を抱えていると思うが、(失業者でなくとも!) たぶんそういう方々は決してポジティブとは言えない思考を暇に任せて弄するのかしれない。よろしい時間の使い方と言い難い。どうせ暇なら暇を楽しまないといけないのに暇が苦痛に感じるとしたら、それでは休んでいる意味がない。まあ休むのに意味はなくてもいいのだけどね。

あちこち遊びに行ったりしていると、精神のありようとして以前と違うなって思うのは、たとえば旅先の温泉で湯に浸かって、あーあー極楽だな、と幸せを感じるあの気分、それは会社で嫌なことがあっても家に帰り子どもの寝顔を見るとすーっとストレスが消えていくとかの気分に通じるものだけど、なにか辛いことの対極として感じる幸福感。これがなくなってくる。ずっと幸福であるから幸福だと思う気持ちはあるが、それは相対的な位置づけでなくて絶対的な位置づけとしての幸福感。幸福は日常的に繰り返されていく身近なものになってくる。

慣れてそれが当たり前になってありがたみを感じなくなる、という気はしない。ずっと毎日楽しく暮らしていく分には飽きもしない。それに回りを見渡してもいや積極的に調べたってわたしのようなけっこうな生活をしている人間は非常に少ない。友人と話せば、大変だという話題ばかりで、実際ピンとは来ないが、それでも自分が別世界にいると認識はする。桃源郷から俗世をかいま見る気分とでも言おうか。

ハローワークに行くなどはまさにその俗世間を垣間見る絶好の人間ウォッチングの機会で、失業認定のために自分の名前が呼ばれるまでの時間、回りを見渡していろんな人間を舐めるように観察しながら邪推妄想力をフル回転させる。どんな人生を歩んでいるだろうななんて類推するわけだが、着ているものとか振る舞いとか、限られた情報しかないので、邪推はほとんど無制限は飛躍跳躍する。それが楽しいと言っては見られている人間にはたぶん失礼だが、ただ思う分には共謀罪でしょっぴかれることもないわけで向こうだってわたしのことを見て何を考えているか知れたものでもないわけだから差し障りはあるまいと思っている。

失業者どころかハローワークの職員さえ観察の対象で、これはどういう仕事なんだろうって、笑顔もないし(笑顔でいたら失業者が気分を害すからかな?)向こうはこっちを憐れんでいるかななんても、それもいろいろ想像する。あまりやりがいがあるような仕事には思えないけどさてどうなんだろう?

このように外に出ていろんなものを見ると言うのもけっこうな暇つぶしである。毎週東京にも出かけているが、基本は人間ウォッチングである。それでiPadでも抱えて思ったことを書きつづるとこんなブログになるというわけです。ハイ。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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Comments 2

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geg**007  

No title

ハルトモさん、こんばんは。トールです。わたしも30半ばで100連休しましたが当時は、人間観察までいきませんでした。(笑)
自分のこの先の身のふりかたを考えてばかりだと、いまある状況を存分に楽しめないですね。
ですが、暇なのでe46で、スキーに行ったりと今では良い思い出になりました。

2017/04/20 (Thu) 20:54

ハルトモ  

No title

私は数年前も100連休やってますが、その時は暇だって思いました。

2017/04/21 (Fri) 06:36

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