自分を下げる

2017年03月11日
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人生の考え方
3月11日よりもその三日後、単身気仙沼に乗り込んで実母と伯母を見つけだしてさいたままで連れ帰り病院にかつぎ込んだ48時間がわたしにとっての震災であった。丸々二日間寝なかったのは人生で初であった。民間人で気仙沼に乗り込んだのはわたしだけではなかったか? 現地には報道もいなかった。ただ自衛隊がいた。そこで単身乗り込み実母を発見してそして連れ帰ったのはまさに奇跡だったと思う。

自分で思うのだがどうやってそういう奇跡を起こせたのか。わたしは自分で感心してそう素直に表現してしまうのだが、あまさんからは自慢することで価値を下げているという指摘を受ける。どんなすごいことをしてもそれを自分で自慢したらダメというのがあまさんの考え方である。

これはある意味常識人として普通の見方かもしれない。わたしの自慢話しに眉を顰める人間は実に多い。彼らが言うのは自慢することで行動の価値を下げているということである。どんな素晴らしい行為も人に知られて評価を受けてこそである。人から評価を受けてこその立派な行動という見方をすれば、それは終えたあとの態度までもその行動に含まれるということになる。

わたしみたいに他人の評価に重きを置かない人間はその点気にならない。素直に自分ですごいと思うから自分ですごいなと言うだけ。そして自分の納得が第一。だいたいだ、わたしが助けたのは実母と伯母である。彼女らはわたしが自慢しようがしまいがわたしへの見方は変わらない。わたしにとってはそれで充分である。いやそれさえどうでも良いくらい。別に人から評価を受けるために行動をしたわけでない。

ただ見方を変えると、自分を下げるというのは逆に徳を積んでいるのかもしれないという気がする。お世話になったとは言い難い年寄りを助けても、児童養護施設のこどものために奮闘しようが、自分が利益を得ることも尊敬も賞賛も集めることもないのである。下手すりゃ感謝さえされない。これって案外素晴らしいことじゃないかしら? 真似できないでしょ。

自分であろうが他人であろうがすごいものはすごい。ハルトモはすごいから自分で感心している。これでなにが悪いんだろう? いや別に人の意見は聞いてないけど。
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