皆で貧乏になればいい

2017年02月15日
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政治経済



朝4時に家を出て那須まで下道を走ってそれで一日スキーをしたらさすがにまた運転して帰るのは危ない気がしてきた。ということで泊まることにしたが、かねてから目をつけていた宿。ねらい通り当たりであった。部屋はきわめて清潔でいわゆる普通のビジネスホテルより一回り部屋が大きい。ビジネスホテルのようだけどちゃんと大浴場や露天風呂もあって、そして写真のようなわりと立派な食事が出る。接客も丁寧である。それで6000円ポッキリという値段である。アルコールも安いしソフトドリンクは飲み放題だ。これはお得な良い宿である。やはり車中泊よりこっちの方がいいや。なんだかんだと2月はこれで3度目の宿への宿泊である。車中泊も3回かな? 

最近話題になっている、某女子の「みなで貧乏になっていけばいい」という説。これには反発する現役世代が圧倒的に多い。一方たぶんだが年寄りにはそんな違和感のない説だ。それはこれから自分の生活をなんとか切り盛りしたいという世代にとって、そんなこと言われては堪らないとうのはわかる。だがこの日本という国が長期的には人口は減っていくのはかなり定まってしまった方向で、ばんばか移民を受け入れる国情でないことを考えると、この国がいわゆる経済的な指標という意味で衰退していく可能性は高い。これは誰も異論がない。

だからなんとかしようじゃないかという人間といやそれはなんともならんだろうという人間と、難しいかなという人間といろいろいるということで、そんな大差ある議論ではないような気がする。だって議論は茫洋としてなんとかしたいと言ったところでさてどうしよう?である。せいぜい自分の生活のためにひーこら頑張る程度であろう。ということでいろんなシナリオが考えられるのだから、なんとかしようという人間と避けられないから備えようという人間がいてもこれは全然おかしくなくて、言い争うような話には思えない。どっちになるかわからない話なのだ。

経済的には衰退とか貧乏という言葉が当てはまるのかもしれないがいわゆる餓死するような話ではなくて生きてはいける。それは戦国から江戸時代の生活は今より貧乏という意味で言えばそうかもしれないが、決してその時代の人が今より不幸とも言えないだろう。むしろ輝いていたかもしれない。日本人の精神的原風景がそこにあるとも言えるとわたしは思っているくらい。だからこその水戸黄門である。言うなら真田丸だってそうだ。

さらに言うとこの議論を活発にする人間たちのほとんどはわたしに言わせれば本当の貧乏なんて知らない人間だ。だから貧乏はどうしようもないと思いこんでいる節がある。貧乏てのはそれなりに楽しくやる術があるのである。大学行く学費がないくらいの貧乏なんて別に問題ないとも言える。ちゃんとわたしみたいになれる。こういう議論に参加する本物の貧乏人はいないのである。それどこじゃない。そういう意味ではわたしの独壇場とも言えるかも。

わたしには未だこの議論は豊かな連中のお遊び的なものに見えて、本当のせっぱ詰まった感はない。いずれこの先、日本はどうするか? 誰もが真剣に考えざるを得ない時期がたぶん来るのであろう。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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