洗練された野生の勘

2017年02月09日
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株式投資
ほぼ間違いないという意味で使われる十中八九という言葉であるが、確かに80%の確率はそれなりに手堅い印象がある。どこそこ大学合格率80%なんて聞くとほぼ受かるような気がするでしょう。だが実際に正答率80%の問題でも3問続けると3問とも正解できるのは約半分である。0.8の三乗だから。もし10問でも出したら0.8の10乗、全問正解できる人間は約一割しかいない。

世の中で一見手堅く生きている人間の多くがさほどの成功を得られない理由はこのあたりにあるかもしれない。手堅く生きているつもりでも節目節目でどこかで間違えると大きな痛手を被ってなかなか巻き返しができない。手堅く生きるということはある意味大きく当てる力を損なう面があると思う。気分が萎えてしまうのである。

逆に80%でなくてもそれは60%とか50%、いやいくつでもいいのだが、いっちょうやったろうと一山あてる力を持っていれば、そこはどこかで一回当てれば人生大勝利という形に持っていける。間違えてもいいのである。どこかで一発当ててそれでそこで勝ち逃げしてしまえばいい。ミスをしないように手堅く生きるよりずっと勝負になるとわたしは思う。

投資でも同じだ。手堅く手堅くと損を怖がっていても絶対はないのだからやはり80%がいいところ、それを何回もやればいつかどこかで痛い目に合う。巻き返す打撃力はない。それが多くの投資家がやられてしまう理由である。それでも多少賢いとか運がいいとかで生き残る人間もいるが、わたしはそういう人種とは根本的に考え方が違う。それを最初からわたしは心得ていた。
株はギャンブルだと思いきわめていたからだ。実際株がギャンブルかどうかはどうでも良い。そういうつもりでやっておけと言っているのである。

さてやまっけ十分であるのはいいが、でれあばあるほど、実はクレバーで慎重でなければいいけない。そこを勘違いするとただのおばかな行け行けどんどんになる。ぼんやりした家畜より野生の生き物のほうがずっと敏感で慎重で感覚が研ぎ澄まされているのと同じである。

それと仮に一発あててさてもう一発二発と思うのはそれはその人の自由だが、いったい自分はどうなりたいか? それを最初から持っていてそれを最後まで貫くことが大切だ。最初一億円儲けたら辞めようと思っていたが一億近くになってやはり二億にしたいとか、、もう金の亡者に成り下がっている。必要だと思った分だけ儲ければそれで充分ではないか?それ以上なにを望む?とは思えない。

入ってくる金にあわせて自分の生活を決めることは愚かだとわたしはここで何度も言っている。よく映画でヤバイ山をこれで最後にしようと思って、それがとんでもないことになるって筋書きは極めて多い。人間の心理の根本に係わるから見る物も引き込まれる。映画を見て笑うのもいいが学ぶこともしたい。本も同じだ。

映画とか本とかから学ぶためには観察力と感受性と想像力が豊かでなければならない。あるいは他人を見て学ぶのも同じ、他人事をまるで自分のことであるかのように受けとめてそこから学ぶ力である。

そこが鈍いと頭ではわかっていても何度も自分で実際痛い思いをしないとわからない、ということになる。それが普通かもしれないが、そこを自らの体験でないものを感受性よく受け止めて学ぶ力が高いものが最後勝ち切るように思う。洗練された野生の勘とでも言おうか。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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