幸せに生きるということ

2017年01月27日
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人生の考え方
ハローワークに行ってきた。だいたい4週に一度行ってそれで雇用保険の受給手続きをする。昨年の4月末から働いていないが6月末退職で7月手続きで雇用保険の受給はまだ半分である。あと半年以上雇用保険の期間がある。雇用保険をもらった人ってのはどういう気分なんだろう? もう終わってしまうってあせるような気分になるのかな? わたしはいつまで続くんだってくらいに長く感じる。

雇用保険の手続きを終えると就職相談というのを受ける。月二回の就職活動の1回がこれでカウントされる。ハローワークの求人から選んでその会社についていくつか質問をすれば良い。その後にインターネットで就職サイトを見繕い、それで2-3社に応募する。応募はインターネット上で行い履歴書も職務経歴書もオンラインで送る。もちろんあっさりと返事もオンラインで来る。
それで一ヶ月の就職活動2回が達成される。その後すぐに来月の雇用保険の手続き書類を記入して捺印しておく。これで来月の手続きの準備は完了である。もちろん就職の意志はありますよ。でも手続きは手続きでちゃんとやるってこと。

家では映画をたくさん見ている。アマゾンのプライムビデオだと無料なので手当たりしだいに見ているのだけど、映画ってのはいろいろなパターンがある。アクションとかサスペンスとか、ドラマで幸せとか人生について考えさせる映画ってのはこれはけっこう多い。

映画を見ていて思うのは、人間が幸せに感じるにはある共通部分があって、そんな見当違いの方向で幸せの形がいくつもあるわけではないってこと。人生において幸せとは何かってのはそんな難く複雑な命題じゃないように思う。あまり理屈を言うと論点がぼける。イメージで良いのである。幸せのイメージ、みなそんな変わらないでしょ。

一方世の中を見渡せば幸せに生きるってことがひどく難しいって人がとても多いような印象がわたしにはある。幸福感よりもつらさ不満悩みなどなどが心の中を行き来する。どうしてだろう?なぜ多くの人は幸せだと思うように生きられないのだろう?

これは今の自分を幸せだと思えば良いとか境遇に感謝しろとかいう話とはちと違う。そういう話はそれであるのだが、今日はその話ではなくて、少なくとも幸せのイメージが誰しもあるのに、そうは生きないってことはなぜだろう?て話。そしてそれは自分自身で決めているってことだから自分で人生を難しくしているってことになる。

自分自身を映画の主人公に見立ててそして観客である視点を自分のどこかに持って、それで自分自身の映画を生きてみたらどうなんだろう? 見ていて幸せそうに生きたらいいんじゃないかしら? わたしにはさほど難しいことではないのだけど。

わたしのある友人は人生を確率論で語っている。よい学校に行ったほうが成績が良い方が、そしてまともな職業についたほうが、そしてまともな職業の伴侶を持てば、幸せになる確率は高まるんだそうだ。会社でも上に逆らわない方が間違いないとか、言われたことを素直にやったほうが出世の確率が高いとか、敵を作らないほうが得だとか、なんでも確率で決める。その友人はそうやって生きてきていまだに不平不満やぐちばかり言ってる。映画に幸せな人間としては出てこない。

こういう話は通じない相手にいくらしても時間の無駄だ。友人知人と話していても通じない人間はまったく通じない。ただおもしろいことに時々、ハルトモ、いつだかおまえの言っていたことが今はそうだと思うようになったって友人から言われる時がある。そうなると話がよく通じる。児童養護施設のこどもたちもいつかはわたしに話を思い出すことはあるのだろうか? あってもだいぶ先の話だろうな。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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