社史に残る祖父の記録
2017年01月11日
ヤヨイサンフーズ様社史より
ヤヨイサンフーズさんという会社があります。従業員は1700人ほど。現在の年商は約350億円。ヤヨイ食品とサンフーズが合併したもので今はマルハニチロノの傘下のようです。前身のヤヨイ食品は静岡県の清水を創業の地とする会社で気仙沼など日本各地に工場を持っていました。この会社の創立主要メンバーがわたしのおじいちゃんなんです。設立は昭和22年、それで昭和29年に清水に次いで気仙沼に第二工場を建設する。その気仙沼に大学をでて間もないわたしの親父が派遣されるわけだが、その気仙沼の魚町で料理屋を開いていたしみちゃん(わたしが気仙沼から震災の時にさいたまに連れて来て死ぬまで面倒をみた)の店にいくようになる。そしてその店でしみちゃんの手伝いをしていたのがしみちゃんの妹でわたしの実母のまっちゃんである。おやじはまっちゃんを好きになった。当時でも従業員は数百人いたらしいから、そこの御曹司(わたしの親父ね)に見染められたというところだったらしい。生まれ年を考えるとまっちゃんはまだ20そこそこだった。親父も23、24か?
沿革によるとヤヨイ食品は昭和31年に伊藤忠商事の傘下に入っている。いろいろあったんでしょう。この傘下に入るのがわたしのおじいちゃんは相当不本意だったらしい。だがその交渉はおじいちゃんが行った。そこでどんな議論があったか知るよしもないが、おじいちゃんは会社に残るを潔しとせずに会社を退任して、自らの事業に専心する。おじいちゃんの新会社は日の出の勢いで成長して従業員が200人くらいの規模となる。ビルも建てたし、豪邸も建てた。おじいちゃんは伊藤忠商事とはわだかまりがあったので、パートナーとして別の商社を選ぶのだが、(会社名が思い出せない)その会社が倒産してしまい、そのあおりを受けて事業につまづく。オリンピック直後は不景気で倒産が多かったそうだ。
おじいちゃんが興した会社はいくつもあって、その中で健全なものは存続をすることになるが、そこで親父は相続をしなかったのか、あるいは道楽息子で相続を許されなかったのか、いずれにせよ親戚とは断絶状態になる。事業は親父の姉の亭主が継いだ。まっちゃんとも別れた親父はわたし一人を連れて長屋のようなアパートに住むが、乱れた生活でわたしは犬のナナと毎日味噌汁ご飯を食べていたが、ある日児童相談所に連れていかれる、そして児童養護施設にというわけだ。驚いたことに会社を相続したわたしの叔父は、業界に貢献したとかで叙勲までされている。
ずいぶんの差である。

おじいちゃんのことが知りたくて、会社の総務部に連絡を取って見た。事情を簡単に説明すると調べて見ましょうと快諾を得てそれでその日のうちに返事がきた。社史に祖父の名前も写真も載っているとのこと。早速関連する部分をコピーをとって送ってくれた。冒頭の写真は昭和20年代後半の会社幹部の写真。この中で名前入りで社史に残っているのは2人。そのうちの一人がわたしの祖父である。伊藤忠との交渉責任者も祖父であったと社史に記されている。おじいちゃん格好いいね。ちなみに親戚の間ではおじいちゃんの風貌に一番似ているのはわたしなんだそうだ。

社史より
注釈
この記事は2017年1月11日の記事で氏名や会社名など伏せていましたが、特段隠す内容でもないことやこのブログの作者としても思い出深いものであることから加筆修正して更新いたしました。なおヤヨイサンフーズ様の担当者や部署の名前は伏せさせていただきました。
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