元御曹司
2016年12月31日
おじいちゃんの昔話を聞きたくなって、それで久々におばさんのところに電話してみた。親父の妹である。おじいちゃんの新しい話はなかったが先祖の話が少し聞けた。おじいちゃんの親父は早く死んでいるがおじいちゃんのおじいちゃんが手広く八百屋をやって羽振りがよかったらしい。どうもハルトモ家は隔世遺伝するみたいだ。一代おきにやり手が出てきている。ちなみわたしもやり手ね。
親戚の近況として、おじいちゃんの事業を親父の代わりに引き継いだ叔父叔母の会社のことも聞けた。長年頑張ってきたが結局事業立ち行かずに昨年会社清算となったそうである。大きな家もベンツも売ったか取られたか今は手放したそうだ。
叔父叔母の会社と言ってもすでに代替わりしてわたしの従兄弟が経営していたのだが、うまくやる手はなかったのか?従兄弟はなに不自由ない家庭で育ったおぼっちゃんである。それで家業を継いでそれでも30年以上必死に家業を支えてきた。でも結局清算である。
事業の中身はよく知らないがたぶんわたしだったらなんとかしたかもしれないって気もした。事業はなにをやってもいいのである。生き残る方法がないわけはない。そこは才覚と根性である。もっともわたしが事業と継ぐということはそれこそわたしもボンボンで児童養護施設にも行っていなかったということになるからやはりダメだったかな?
不思議なものである。親戚で一番不遇の子供として最底辺の暮らしをしていたわたしが、なに不自由なく育った親戚の誰よりも今はゆとりある生活をしている。わたしがハルトモ家の出世頭みたいだ。わたしはまったく事業を引き継いでいない。身軽でそして後生に引き継ぐ義務もない。我ながら一番いいなって思う。それに対して事業を継いだ従兄弟はきっとずいぶんと長年苦労したんだろう。そのあげくに清算では、まあご苦労さんとしかいいようがない。
人生というのはなにが幸いしてなにが災いするかは本当にわからないもんだ。おばさんがおもしろいことを言っていた。従兄弟が数人いてわたしの従兄弟は皆地元の進学校から一流大学に進んでいる。学歴だけみるとわたしより一枚上という連中ばかりだけど、親戚の間では、子供のころわたしが一番賢いと評判だったんだそうだ。当然将来はわたしが直系として事業を継ぐとみんな思っていた。どういう根拠でそういう話かは知らないけど才気煥発な子どもだったみたいだ。
そう考えると児童養護施設で苦労したから、、今の自分があるのはそれもあるけど、そればかりでもないのかもしれない。実際自分が児童養護施設で働いていろんな子どもをみたがわたしはちとものが違っていたんだろうなって気がする。大人に反発してひねくれているのは同じだけど、自分はやれるってどこからともなく来る自信てのがわたしにはあった。今でもある。だから、なんとかなるはずだって前提で物事を考える。簡単に諦めない。これが多数の施設の子にはない。どうせダメだろうってのが最初から頭のどこかにあってなんかの拍子にすぐ出てくる。
今日施設のある子どもから情けないメールが来た。一応相談なんだけど、詳細はプライバシーもあるので伏せておくが、口だけは立派だが負け犬が虚勢をはっているだけ、、さてどうやって答えようか? 今それを考えているところだ。彼はわたしではないのだから彼にあうアドバイスを考えるしかない。なににせよ自信てのが必要、自信とまで行かなくても、一丁やったろうかて気概だ。これは与えられるものじゃないから、そこが難しいが、つまるところ本人の問題だ。
ほかの子どもからもメールがきた。その子は施設に珍しく気概と根性があってわたしは買っている。新しい端末は速いって喜んでいる。それはよかったなと言っておいたが頑張るならもっと応援してあげる気だ。まあ頑張る子は応援するのが基本だ。こっちがなだめすかして頑張ってもらうてのは筋違いだしうまくいくわけがない。
親戚の近況として、おじいちゃんの事業を親父の代わりに引き継いだ叔父叔母の会社のことも聞けた。長年頑張ってきたが結局事業立ち行かずに昨年会社清算となったそうである。大きな家もベンツも売ったか取られたか今は手放したそうだ。
叔父叔母の会社と言ってもすでに代替わりしてわたしの従兄弟が経営していたのだが、うまくやる手はなかったのか?従兄弟はなに不自由ない家庭で育ったおぼっちゃんである。それで家業を継いでそれでも30年以上必死に家業を支えてきた。でも結局清算である。
事業の中身はよく知らないがたぶんわたしだったらなんとかしたかもしれないって気もした。事業はなにをやってもいいのである。生き残る方法がないわけはない。そこは才覚と根性である。もっともわたしが事業と継ぐということはそれこそわたしもボンボンで児童養護施設にも行っていなかったということになるからやはりダメだったかな?
不思議なものである。親戚で一番不遇の子供として最底辺の暮らしをしていたわたしが、なに不自由なく育った親戚の誰よりも今はゆとりある生活をしている。わたしがハルトモ家の出世頭みたいだ。わたしはまったく事業を引き継いでいない。身軽でそして後生に引き継ぐ義務もない。我ながら一番いいなって思う。それに対して事業を継いだ従兄弟はきっとずいぶんと長年苦労したんだろう。そのあげくに清算では、まあご苦労さんとしかいいようがない。
人生というのはなにが幸いしてなにが災いするかは本当にわからないもんだ。おばさんがおもしろいことを言っていた。従兄弟が数人いてわたしの従兄弟は皆地元の進学校から一流大学に進んでいる。学歴だけみるとわたしより一枚上という連中ばかりだけど、親戚の間では、子供のころわたしが一番賢いと評判だったんだそうだ。当然将来はわたしが直系として事業を継ぐとみんな思っていた。どういう根拠でそういう話かは知らないけど才気煥発な子どもだったみたいだ。
そう考えると児童養護施設で苦労したから、、今の自分があるのはそれもあるけど、そればかりでもないのかもしれない。実際自分が児童養護施設で働いていろんな子どもをみたがわたしはちとものが違っていたんだろうなって気がする。大人に反発してひねくれているのは同じだけど、自分はやれるってどこからともなく来る自信てのがわたしにはあった。今でもある。だから、なんとかなるはずだって前提で物事を考える。簡単に諦めない。これが多数の施設の子にはない。どうせダメだろうってのが最初から頭のどこかにあってなんかの拍子にすぐ出てくる。
今日施設のある子どもから情けないメールが来た。一応相談なんだけど、詳細はプライバシーもあるので伏せておくが、口だけは立派だが負け犬が虚勢をはっているだけ、、さてどうやって答えようか? 今それを考えているところだ。彼はわたしではないのだから彼にあうアドバイスを考えるしかない。なににせよ自信てのが必要、自信とまで行かなくても、一丁やったろうかて気概だ。これは与えられるものじゃないから、そこが難しいが、つまるところ本人の問題だ。
ほかの子どもからもメールがきた。その子は施設に珍しく気概と根性があってわたしは買っている。新しい端末は速いって喜んでいる。それはよかったなと言っておいたが頑張るならもっと応援してあげる気だ。まあ頑張る子は応援するのが基本だ。こっちがなだめすかして頑張ってもらうてのは筋違いだしうまくいくわけがない。
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