文章を書くのと考えるのと

2016年12月25日
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人生の考え方
文章を書くというのは物事を考えるのとほぼ同じ作業だと思いますが、人の書いた文章を読んでいて、これはなるほどなと思えるものと、なにか違和感を感じると言うか、説得力がないなと思えるものと両方ありまして、この差はどこにあるかと言うと、わたしは概ね文脈と結論のバランスだと思っています。

このバランスが悪いと読んでいて非常にむずがゆく気分が優れない。なんでこう書いてきてこういう結論になるのか? とか時間の順番では思うわけですが、実は書き手からみると逆です。たぶん結論は明確か漠然かは別として最初からあってそれで結論は最初でも最後でも構わないのだけど、なにせ書いて、結論に相応しい文脈を備えるに至らない、ということなのです。

つまり結論は立派だけど、それを担保するだけの文脈がないというケースが多い。結論というのは立派というか誰でもあるレベルに落ち着くことが多いです。「戦争はしてはいけない」これはまあ誰でも言える。そこに至る自分の思考を開陳するからこそ、思考して文章にする意味がある。そこにその人なりの味がでる。

自分で書いたものを(もちろん他人が書いたものでも)ちゃんと読解する能力があれば、読んでいてこの文脈でこの結論は甘いと自分でわかりますから、それがもしわからないとしたら実は自分の読解力も怪しいということです。

そして実は自分の思考も甘いということになります。なぜならその本人がある結論を持つにしても、やはりその結論に至る思考は自分の中になにかあるわけで、いきなり結論が天から降りてくることはない。すなわちそこには文章にはなっていないけど、文章中の文脈と呼ぶべき思考プロセスが存在しているということになります。それが甘いということですから、ありていに言うならよく考えていないということです。

でも結論だけ見ていたら思考の甘さはなかなか露見しません。さきほど書いたように結論は案外簡単に立派なものにできます。そこで自分が書いたものあるいは話たものが、あまり説得力がないとか伝わらないということになると、自分は口べただからとか、考えていることを表現するのが苦手です、などと常套とも思える言い訳が登場します。でもここまでお話した通り、自分が考えていることは外に出す出さないに関わらず、自分の言葉以上にも以下にもなりようがないのです。そもそも言葉以外に何を使って考えるというのでしょうか?

さてここまで書いてきてわたしは何を言いたいのか?この文章の結論は? というと部分部分で思考のポイントは書いていますが、この文章全体の結論というものは実はありません。それでいいのです。ビジネス文書ではありませんから文脈だけでも十分。リズム良く楽しく読めれば結論は読者に渡しても別に構わないのです。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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Comments 3

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yasohden  

No title

あれ、読みました
一言でいうと恐縮だけど
「限りなく塵」
どうでもいい些末さのスパイラル
これ、名前隠したら中二病の作品ですよね
上丹田凝ってるよ呼吸法しよう気の澱み流そうって感じ

ハルトモさんはたくさん本を読んで来たとのこと
こういう作品読み重ねて人生の深み味わい増しますか
文学って何?。できたら記事のネタにお願いします

2016/12/26 (Mon) 04:15

ハルトモ  

No title

まあ売れればそれも商売と思えばそれでいいのでしょうね。
お客は自分で選べばいいわけですから。

2016/12/26 (Mon) 12:13

yasohden  

No title

笑)商材、消費財ですね
スーパーに売っていないだけという

2016/12/26 (Mon) 14:20

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