長時間労働

2016年12月24日
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人生の考え方
今社会問題になっているこの言葉だが、わたしは決して長時間労働などしない人間であった。一日は24時間と決まっているだから特に偏って会社に時間を捧げればゆがみがでるのは当然である。長時間労働でも幸せだと思える人はやればいいが、それが家族とか広げていけば果たしてどうか?

わたしの友人でも、やりがいがありそしてそれは家族のためでもあると長年必死に頑張ってきたがこの歳になって子供と遊んだ思い出がほとんどない、それで本当に良かったのか? 今になってそう振り返る人間もいる。

まあ理想を言えば、個人の選択で長時間働こうが働かなかろうが自分で選べれば、たぶんそれが一番いいのだろうが、一企業でそれが共存するのは現実的はむずかしかろう。かと言って職業選択の自由といいながらそれほど自由に企業を行き来できるわけではない。経営者の視点から言えば、文句も言わずにとことん働く社員ばかりがいたほうが、業績もあがるしやりやすいに決まっている。

結局そこは生産性の問題にいきつくのであるが、多く語られるのは組織としての生産性の議論である。長時間労働を強いらなくても十分な生産性を上げられる組織、経営にすべきという話だが、これは実は最初から論理が破綻している。生産性が十分高くてもさらに社員が働ければもっと業績があがるのは当然だからだ。この魔力に打ち勝てる経営者はまずいない。

この点をブレークスルー方法は、生産性を上げるのを経営者や組織にゆだねないことである。個別に各個人が自分の生産性を上げるのである。もっと言うなら自ら己の生産性をコントロールする。そして仮にそれが十分上がらないならそこは家族との時間との選択を自分ですることである。その個の意識が日本人は弱いから、周りが頑張っていると自分も頑張らねばいけないと勝手に自分を駆り立てる。実は自分のことを自分で決められない。それで我が社は働かせすぎだと不平不満を言っているのが日本の労働者である。

わたしは会社員時代決して擦り切れるほど働かなかった。夏休みは3週間、冬休みとGWは二週間、家族とどれだけ遊びに行ったか。普段も早く帰るしよく遊んでいた。その上で業績はこれはとんでもないパーフォーマンスを上げ続けた。一言で言えば要領が良かったということであるしたぶん能力も抜群であったのだが、その抜群の能力を会社に全部捧げる気はさらさらなかった。そんなことできるのはあなただからだとそう思う人はそう思えば良い。わたしは間違いなく迷ったら優先すべきは家族と自分であった。そこの判断基準は能力のあるなしでかわらないだろう。それで稼げる範囲で幸せに暮らせばいいではないか。

わたしの知人友人でも会社経営に携わる人間がけっこういるが、会社が儲けないことには個の幸せはないと盲信している人間がほとんどだ。会社は個を利用して儲けている、個でも会社を利用するくらいの気概が欲しいね。わたしみたいに。まあわたしの場合は十分会社も儲けさせたんだが。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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