いじめ

2016年12月03日
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児童養護施設のこと
毎日いじめの報道がある。いじめの話をするときに聖域はいじめられる側になにか問題がなかったのか? という議論で、もちろん問題をあげつらうのではなく、そこから対処方法を探るという意味なんであるが、それは感情的な反発を招くので表立って報道されたり議論されることはまずない。だからいじめを早く発見してそしていじめる人間を止めるという話しかない。

でもいじめはずっとあってこれからもなくならないだろう。わたしの記憶ではいじめは小中高とみんなあった。いじめという言葉があたるかあたらないかは別として悲し思いとか不愉快な思いとか怒りを感じたというのは日常茶飯事でそれが高じていくといじめと称するのかもしれない。

小学校の時には児童養護施設の子に対するいじめがあった。わたしもいじめの対象であった。それとわたしじゃないけど朝鮮人へのいじめはよく見た。これらはほとんど親から来ていた。施設の子と遊ぶなとはっきり言った親もいた。家で朝鮮人を親が馬鹿にしていたからその影響で学校でも馬鹿にするとかたぶんあったんだろう。

児童養護施設の中でのいじめは強烈だった。わたしはいじめの対象でここで何度も書いているが理由は勉強ができたからであった。他の子供と違うといじめに遭いやすい。中身は繰り返さないがまあ酷かった。でもやった人間の名前も顔も覚えていないのは幸いかもしれない。

ついでに言うともっと酷いのが親からのいじめ。これは虐待と言うけど、親父からずいぶんやられた。もう何度も書いている。

中学になると様相が変わる。たぶん親の影響が薄くなって自分の抱える問題が出るようになる。よく覚えている。N君という子に対するクラスのいじめはひどかった。N君は振る舞いがとても優等生なんだけど成績は中くらい。そのギャップというかコントラストで、いじめの対象になって、かなりの子供から嫌がらせを受けたが、遊び気分であった。かかわらないまでも笑ってみていた人間も多かった。いじめるのは成績が下の子だった。そのN君は卒業以来一度も同窓会に来ない。たぶん今でも覚えている。

高校になってもやはりいじめはあった。だがこのいじめはかなり大人に近くて陰湿でそれから徒党を組むといういじめでなく個々であるがゆるやかな繋がりのあるいじめというか。勉強ができる子供が嫌がらせを受けるというのがまずあった。

それからこれはいじめじゃないけど、クラス対抗の球技大会で理数科のチームがバスケットが強かった。それで学年全体で理数科が負けるように応援していて、まあ中国の田舎で日本チームがサッカーをするような雰囲気。わたしは不愉快でその場を去ったことを覚えている。

わたしもいじめというか不愉快なことをだいぶされた。理由はやったほうが知っているんだろうが、たぶん汚かったのが原因だろう。家が貧乏で市営アパート住まいで風呂が共同で毎日入れない。服が買えないので毎日同じ服である。金がないから床屋にもいけない。

H君からはわたしにまったく嫌がらせを受けた記憶はないが、そのH君が社会人になってたまたまわたしを知る人間とあって、それでわたしの話題が出た。それでその知人がわたしに電話してきて、ハルトモ、Hって知ってるか? お前のことをすごく馬鹿にしていたぞって言われた時には驚いた。高校を出て10年近く経っているのである。

今そのH君は元気でやってるかな? なんとも思わない。そういう人間は一定数いるのである。とんでもない人間と揶揄するほどのものでもない。家庭を大事にして同僚からの信頼も厚いかもしれない。そう言えばネットで人の悪口を書く人間も同じだろう。一見わりとまともな人間が多いと想像する。

わたしは幼少の頃からいろんな経験をしてきたのでいじめに対する耐性が上がっていたんだと思う。H君にうらみもない。虐待した実の親でもちゃんと面倒を見るハルトモ君である。恨みや復讐は馬鹿馬鹿しいし自分を下げるだけであることは、これは多くの経験から学んでいた。ただそういう人間がいるということ、誰が何をしたか、これは知識としてちゃんと保管しておく。それが生かされる。これが大切である。

いじめに対抗するには冷静に論理的に損得を頭で考えることだ。感情で受け止めるのはやってはいけない。感情はもっと暖いものを受け止めるためにある。

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