失業者は肩身が狭いか2

2016年12月02日
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人生の考え方
失業者と言って思い出すののはわたしの親父のことである。わたしの親父は再婚相手のしげちゃん(今わたしが面倒みている)のヒモみたいな存在であった。しげちゃんが看護婦として働いていて勤務先が静岡だったのでそれで清水からの通勤の送迎が親父の仕事と言えば仕事であった。それで夜になると釣りに行く。中学高校とそういう記憶しかない。

そうなった理由にはなるほどと思えるものがあって、まず資産家の家に生まれてなに不自由なく育ちそれでおじいちゃんの会社に入社した。いきなり従業員が200人くらいの会社の幹部である。たいした仕事もせずに遊び歩いていたんだと思う。高級車を乗り回してわたしをキャバレーに連れていくくらいだったからね。いわゆる普通のサラリーマンじゃない。

ところがその事業が倒産してしまう。まだ立て直しは効くと事業を整理して残った会社は親族会議で親父には任せられなかった。あいつじゃだめだということになったんだろう。その頃離婚もしてそれで親族から勘当状態になってしまい。かなり生活が荒れた。わたしが児童養護施設に行く頃だ。

わたしが家に戻ってから、不動産業の免許を取ってしばらく自営をしていた時期もあったが、一度胃潰瘍で入院して、退院してもそのまま働かなくなってしまった。その後そのまままともに働かずに長年失業状態で一生を終えた。自分でやる才覚もないしサラリーマンもできない人間だったってことだ。

その親父の言動を思い出すととても見栄っ張りで、それから親戚とか近所の評判をいつも気にしていた。それで働きもないくせに口だけは立派でそんで見栄を張る。わたしが反発するのは当たり前で、普通の家庭反発の構図とは違う。今にして思えばわたしのほうがよほどまともだった。親父は自分で稼ぐ力がないからそれで自ら肩身を狭く感じていたんだと思う。人がどう見ているか気になって仕方がないようであった。

よくわからないが近所や親戚の視線もその親父が想像する通りであったのかもしれないが、それを気にせずにすむだけの実力がないからやはりその通り肩身を狭く感じてその気持ちは強まるばかりというサイクルだったのかもしれない。

わたしはこのブログで相続を放棄したことを書いたことがある。2度も放棄しているが、その背景には親父を見ていて、自分の力で得たものでないものを自分の物かのように振る舞うことをよしとしない性向が養われたからだと思う。

ある意味典型的で本物の失業者だったな。親父は。さぞかし肩身もせまかったろう。





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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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