メディアと権力ーから発想する

2016年11月27日
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政治経済
ここで言うメディアとは新聞とか週刊誌とかテレビだけど、わたしが学生の時でもメディアはすでに権力だと感じていた。今もそう感じている。だからわたしから見るには今騒がれているのは、メディア対権力ではなくて、メディア権力対政治権力、どっちも権力だから時に寄り添い時に揉めその距離感は一様でなく少なくとも大衆から見れば不透明である。たぶん今の日本は癒着が基本だろう。その上での小競り合いと見える。

どっちも権力だが大衆に害をなす度合いは政治権力の方が大きい。だが選挙があるからそれは国民の選択という錦の旗がある。国民程度の政治にしかならない。メディア権力の始末が悪いのはその成り立ちが国民の意思と別にあってそこが胡散臭いことである。たとえばどうやってNHKで出世するのか? 一般にはわからない。いろんな力学が働こうが少なくとも国民が選んだわけではない。一般の企業なら勝手にすればで終わりだが、メディアは十分権力である。その分自制心が問われるのだろうだが、自制心くらいあてにならない言葉はない。どれだけ立派な人間でも自制できない例は枚挙に暇がない。

政治権力の中にはメディア権力はフェアでないと考えてるものが多くいて、大衆も大メディアは信用できないとだいぶ前から感じていて、それがネット上で邂逅することになる。ネット上の大衆はダイレクト感に手応えを感じるが、政治権力は本性を隠していて相手がメディアであろうがネットあろうが考えていることは変わらない。今後そのあたりの歪みが顕在化する機会もきっとあるのだろうなと思う。

じゃあいったい何を信頼すればいいのか? わたしに言わせればこういう疑問は思考停止の証左である。日本人はもっと自分の頭で考えるべきだ。誰をとか何をとかを信頼するのではなく、そこで逐一自分で判断すればよい。信頼できない人間がいつも嘘を言うわけではないし、信頼できる(と見える)人間がいつも正直なわけではない。人は言っている通りすることもあるししないこともある。言ってないことをすることもある。その言うことも変わっていく。

それは不誠実とか誠実とかとは別次元の話である。善意を持ったものが真実を語るとは限らないし、悪意を持ったものが事実と異なることをいうわけではない。本当の悪人はむしろ真実とか誠意を巧みに利用する。それをふまえてであるが、おおむね信頼できる人間というのはいるし、おおむね信頼できない人間というのもいる。100%はないはずだが、その上で完全に信頼するという手はある。うまく人を選ぶなら最強の判断となりうる。信頼されることで人もまた変わるからだ。

そうなると信頼するのはその信頼する人間側の問題である。もともと100%でないものを信頼するのであるから、後から裏切られたと騒ぐのは愚かである。信頼するというのは裏切られてもよしとする覚悟を含むものであるべき、そんな頻繁にできることではない重い行為。わたしはそう考える。要は簡単に信じて簡単に裏切られたと言うなということである。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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