負け犬は負ける前から負け犬

2016年11月03日
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児童養護施設のこと
せっかく高校に入ったが不登校になってしまった子ども。教室に入るとみんなが笑っているようで怖くて入れないそうだ。気にしすぎだと言っても無駄だ。本人はそう思いこんでいる。自分の居場所が学校にない、んだと。それでしばらく授業を受けないのが続くともう本当に入れなくなってしまう。強がりを施設では言うが実はひとの視線が気になってしかたのないビビりなんである。なんとかテストだけは受けたみたいだ。もともと頭脳そのものは悪くない子であったがゲームばかりやっていてそんな調子では成績は下がるばかり、どんじりに近い。授業も出ていないので進級は難しそうだ。

その子が言う。高校を辞めて定時制に行って一生懸命勉強して専門学校に進学すると。昼間働いて学費も貯めたいと。それができるくらいならゲームしてないで勉強でもしろよであるが、立派なことを言う反面やっていることはお粗末という子どもが施設には結構多い。口だけは一人前なんである。ゲームばかりやって学校に行かない子どもが言うことを信用する人間はいない。畢竟サポートも積極的にとは行かない。そうするとまたむくれる。誰も自分の言うことを信用してくれないと。誰も信用しないからやらないのだと聞こえるが、別に誰の問題でもない。やる気の無い子を宥め賺してやってもらうのはたいていうまくいかない。本人がその気にならないとどうにもならないだろう。

施設に一人根性のある子供がいる。成績も良いし部活もしっかりとやっている。間違いなく大学進学を目指すことになると思う。その子ともやりとりは続いているがなんとか応援してあげたいと思っている。別にその子だけが特別可愛いと思うわけではない。ただ在職中も痛感したが大学に行くような子を強力にサポートする体制は今の施設にはない。だいたい大学をでてない職員が大多数なのだ。だからその分応援してあげたいとそう思っているが、なにをどすうるかはこれから考えるつもりだ。まずは少しでもレベルの高い大学に受かるような学力をつけることだ。

負け犬は戦って負けたから負け犬ではない。戦いを挑み仮に敗れたとしても負け犬とは呼ばない。挑む気持ちがある限り捲土重来もある。どうせ俺なんかなにをやってもダメだとか、うまく行かないのは周りが悪いからだとか、自分でなんとかする気がない人間が負け犬である。これがわたしの子供達へのキーメッセージであった。伝わった人間も一人二人はいた気がする。そんなもんだろうし、たった一人でもやった甲斐はあった。今は伝わっていないように見えても将来変わるってこともひょっとしたらあるかもしれない。人間は変わるというのもまた素晴らしい点であるから。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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