失業者には過労死は縁遠いが

2016年10月21日
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日々の雑感ーリタイアライフ

秩父のSL。待ち構えて撮影してきた。長いこと元気で働いている。きちんと大切にされているのだろう。動物も大切にされると病気にもならず長生きすると聞く。意外と大切にされないのが人様。人間は自分で自分を大切にしないといけないがその意味を勘違いしている人も多いようだ。

毎日過労死の報道がなされている。必死、死にものぐるい、粉骨砕身とか働くという言葉にかかる表現で過激なものが多いが、さすがに本当に死ぬまで働くとは言わない。しゃれにならん。本当に死ぬまで働くもんじゃないというのは当たり前の話だが、このあたりを自分で制御できない人というのはけっこういるからこれだけ問題になるってことだろう。

わたしはかなりマイペースですり切れるほどは働かなかったがそれでも一時ストレスで体調が悪かった時期があってその時は休んだ。体調よろしくないとはっきりそう言った。そうするとどういうことが起きるかと言うと、わたしの仕事を減らそうという動きに乗って権限を取り上げようとかあるいは祭り上げようとか引き摺り下ろせとか、それを好機と自分を利したいと考える人間が出てくる。うまい口実をもらったとほくそ笑むわけだ。もちろん口ではハルトモ君のことをあたかも心配しているような様子。それだけ会社でのわたしの存在は大きかったということだ。

程度の差はあれ、こういうのがわかっているから弱音を吐けないサラリーマンが多い。それで下手すりゃ死ぬまで働く羽目になる。おそらく自分を守るために働きに働いて行くところまで行ってしまうわけで、動機は自己防衛なんだろうが行きすぎたというわけだ。病気でなくても上に逆らえば同じようなことが起きる。わたしはサラリーマン生活ですべての権限と仕事を取り上げられたことが2度ある。いわゆる失脚。そしてまったく新しい分野に挑戦などと言ってそれでわたしの仕事は他に人間に割り振られる。もっとも不思議なことにそのたびにわたしは新しい分野で成功して会社の主力製品に育てあげてしまうので、結局会社はわたしが立ち上げた製品ばかりになってわたしの存在は誰も否定できなくらい大きくなっていった。

まったく我ながら不思議なサラリーマンだった。何がどう好転するか暗転するかわかったものじゃないのが人生だから、自分なりの小さな納得を積みあげる。そうすうれば少なくともこんなはずじゃなかったと後悔することはない。そういう自分の守り方なんだね、わたしは。先は見通すが先の心配はしない。窓際だって案外なってみれば楽しいかもしれない。なんでもやってみないとわからない以上そんなビクビクする必要などないんだけど、そう思える人がそれほど世の中にはいないんだよね。

失業だってやってみれば楽しいもんだ。まあ先立つものがあればだろうが。でもそんなたくさんは要らない。足りるを知ることだが、わたしが言う「そんなたくさん」くらい持っている人はそんなたくさんはいないだろうけどね。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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