失敗なしには儲かるようにならない

2016年10月10日
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株式投資
今日は午前中サイクリングをして午後からゴルフをするというプランであった。わたしもかみさんも着替えてそんで自転車に空気を足し入れようとしたらバルブのピンが壊れてしまいそんで全部空気が抜けてしまった。このチューブはもうあかん。ということで初めて自分でチューブ交換を挙行する羽目となった。初めてだが一度講習を受けているし案外スムースに交換できたが、それで午前中押してしまった。それでゴルフはキャンセルした。夫婦でサイクリングを午後一杯楽しんだ。サイクルショップに電話すると不良だろうので交換してくれると言う。そんでサイクリングついでにショップも寄ったがそれで点検してもらったらいろいろおかしなところが見つかってスタンドの部品が外れてしまっているとか、それは全部無料で交換修理してくれた。正規店で高い買い物であるがこうなると結局安かったなと感じる。

相場の上手下手と表現する人がいるけど、わたしの感覚では上手い下手じゃなくて勝つか負けるか、上手い下手は雌雄を決する一要素。ぜんぜん関係ないってわけじゃないけど上手いだけじゃだめ、だと思うけどね。逆に上手くなくても勝つ方法はあると思う。そもそも上手い下手がよくわからないけどわたしはたぶん上手いてことはないと思う。

だって何度も書いてるけど勉強したことない。株の本なんて読んだことない。ブログで参考にするなんて笑止。好きなようにやるだけ。考えてみればそんな難しいもんじゃないって気がする。競輪は難しかった。あれはある程度勉強しないと箸にも棒にもかからない。その上で自分の勝ちパターンを見つけねばならないから、いったん人の癖を学んでその後その癖を外さないといけない。これが難儀。

株はその点楽だ。だって株ってのは聞くところで100人いたら5人も勝っているのである。競輪は一財産なんて人間もいないし、勝っているという人間はたぶん100人に一人いない。1000人で数人とか? よくわからんけど。とにかくわたしはその1000人の中の数人だったから、株は楽だなって思う。レースが終われば紙屑ってことにならない。株も紙屑になるとはあるが競輪は毎レースだからね。それから自分のペースで戦える。もちろん競輪だって自分のペースを守るんのだけど、レースの主催者がいてそんでスケジュールも決まっているから主催者のペースは無視できない。それと競輪は現場に行けないといけないからけっこう手間である。労働という雰囲気になる。テレビ放送もあるけど情報不足だ。今はどうだか知らんけど。

ところで今は競輪はまったくやってない。もちろん競馬もパチンコもやってない。やりたいとも思わない。おもしろくない。なんかそれなりに根拠があって勝算がないと勝負ってのはする気にならない。そこが普通のギャンブル好きとは違うところなんだろうね。やらなくてもなんともない。競輪場に朝から行ってほとんど見ているってのが平気でできた。

投資のブログで経験や失敗なしには上手くならないとこれは断言している人間が多い。失敗しないとうまくならないというのはいろんなものに言えるからまあ株もそうだと言ってもいいのかもしれないが、ただの稽古事と違う大きな点はそれは虎の子のお金をかなりの単位で賭けるということである。そして多くの負け組から金を巻き上げる。巻き上げるという表現を嫌う人間がいるがそれはわかっていないか偽善だ。おまえはわかっていないって言ってもわかるもんじゃない。紛れもなくお金が負け組から勝ち組に移動しているのである。

まず勝てる人間がそれほどいない。さらに上手くなったというのがよくわからず仮に上手いとして成功するかどうかよくわからない。そうなると失敗して上手くなると言う手間がちと危なくて無駄に思えるのね、どうせなら長いことやらないでさっさ勝って逃げてしまえばいい。これを言うと、わたしのことを数少ない、変わり種と見なして相手をしないって人が多いんだけど、わたしは至極論理的ななことを言っているつもりでほとんどの素人にはわたしのアドバイスの方がよほどまともだと思うのね。

たとえば損キリ損キリと偉そうに言うけどほとんどの素人は簡単に損キリなんてするより塩漬けのほうが賢い選択だろうね。ではなぜネットで損キリとかまびすしいかというと理由はいくつもある。
1,まずわかっていないえせ玄人が多くて聞きかじりや生半可知識で損キリを推奨する。損キリばかりしているとあまり負けなくなるけどたぶんやらないで他のことをしていたほうがよほど良い。 2,手数料を巻き上げたい業界よりの関係者や評論家も損キリを推奨する。彼らは素人にたくさん売り買いして欲しい。3,素人を食って儲けようと言う玄人も損キリを推奨する。それが玄人の儲けの源。かれらは素人は一生損キリしてろと思っている。

そうなってくると失敗してうまくなるというフレーズも俄然胡散臭いとならないか?なんとなく失敗を通過点として許容させようとする思惑を感じる。失敗というのはすなわちお金が出て行くということ。少しでも負けて退散されたら困ると言わんばかり。今勝っている人間が失敗は必要だなんて言っても真に受けてはいけない。彼らは100人に数人である。ほとんどの人間は失敗し続けて終わるのである。そしてここからが大切だが、勝っている人間がすべて勝ち方を知っているわけではないということ。自分がなんで勝ったかよくわかってない人間が数少ない勝ち組でも多いのである。統計的に勝つのがまれである以上、それは勝つにしてもそれ以上の失敗の数があるのが当たり前である。失敗で成長したかどうかははてさてどうだか?成長してもどこかでまた負けるんだからね。そういう彼らが自分の過去を振りかえり失敗なしに上達しないなんて言って、じゃあわたしも失敗してもいいんだなんて思うなら、それはお人好しすぎる。自分の金だぜ。減っていいわけない。勉強なんて本当かどうか?

そう言えば昨日コンサートのあとにさんちゃんと飲んだ。さんちゃんはわたしの仲人で前の会社の大先輩なんだけどこのブログではさんちゃんである。響きが大切である。さんちゃんから失業保険がでる来年の8月まで遊んでいればいいとしてその後どうするか? それは考えろと言われた。使命とか生きている意味を考えろとか言う話しであった。労働をしていくばくかの収入を得てればそれで使命を果たして生きている意味があるかというとそこは大いに議論の余地があるが、すでに焼酎も何杯も飲んでおりその気力もない。ただ言えることは、わたしは別に労働は嫌いじゃないのね。別に働いても構わない。これからだってまた働くかもしれないし働かないかも知れない。出たとこ勝負というか成り行き次第である。

なんの話だっけ? 相場の失敗は肥やしになるかだったな?まあ失敗したことないからわからない。まあさんざんやって儲からないことがわかったなんてこと言う人もいるくらいだからまあ無駄ではないのかもしれないな。自分の金が減るだけだ。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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