どういう人間になるか

2016年09月23日
0
0
人生の考え方




先例がないこと、これを漠然と畏れる組織人というのはとても多い。誰もそんなことやらない。やったらどうなるか? それがわからないから怖い。でもそういう人間が仮に現れたとするとこれはまた周りに人間が困ることになる。そういう人間に対処した経験がないからだ。

上司に逆らうなんてのはそれはそれなりにあるんだが、まあだいたい我慢ができなくなって切れるというパターンが多いだろう。そういう逆らい方というのは先例がけっこうあるので上も対処の仕方を心得ている。だから逆らうと言ってもそこは一工夫が必要で、誰もそんなことをしないという逆らい方がないと通用せんだろう。そこが考えどこである。

わたしの場合はそんな工夫を凝らしたというのでなく割と思うように振る舞っていると、見たこともない聞いたこともないとよく言われたので、そういう種ということかな?

わたしには一人娘がいるわけだが、友人から親戚からみんな男探しに苦労するだろうと言う。友達関係もどうだろう? という声もある。娘が友人や彼氏からどう思われているか聞いたこともないけど、まあ友達はたくさんいるみたいだ。

わたしから見ても苦労知らずであまり感謝をするということになれていない。なんでも要求することなく満たされている。金銭感覚も含めて物事の考え方も普通のサラリーマン家庭からははずれているだろう。かと言って住む世界が違うというほどの家系でも伝統でも経済基盤でもないので、それは普通の庶民に伍するわけで、そこでちょっと変だなという存在にたぶんなっているんだろうなって思っている。

娘と話していて感じるのは、わたしが何かを教えたわけではないが、自分の行動を決めるにあたって、すべきという義務感があまり行動決定要素の上位にない。したいこと、すなわちWANTが行動決定の基準の最上位にある。これは友人からも言われているらしい。たとえば今は大学生であるが普通は親はそれなりに苦労して子供を育てる。学費の工面も大変だし、その学費を稼ぐために親はそれは大変な思いをしていると、それは子供にも長年一緒に住んでいれば伝わるものだろう。そうするとお父さんお母さんがこんな苦労して大学まで行かせてくれた、という感謝の気持ちと同時に、その親の期待に応えねばならないという義務感も感じるようになる。これは親の期待通りに振る舞うということでなくても、自分のやりたいことをやるにしても、そこにはそれなりの振る舞いが、すべきこと、やらねばいけないこと、あるいはしてはいけないことして、胸に刻まれる。

それは悪いことでもまんざらない部分もあるが、一方で親と同じような被搾取層を再生産しているとはわたしがここでよく書くことだが、いずれにせよ、それは一生懸命やった結果としてさほどの選択の余地はなくそうなっているわけで、まあそれ以上にも以下にもなりようもないのだろう。

一方でわたしの娘は親が学費だろうがなんだろうが、金で困っているどころかなんか金について真剣に話しているところさえ見たこともない。どうみても大変な思いをして子供を育てているようには見えない。その稼ぎ方でもどうも会社では嫌な思いをして我慢している様子はなくて、なんだかいつも元気一杯で、それで仕事以上に遊びまくっている。娘は自分で親の遊び相手をしてあげていると思っているくらいだった。夫婦喧嘩どころか言い合いももめ事もないから娘はそういう場面を知らない。どうみても大変そうに生きているようには見えない。

その親は娘になにか期待をしている様子もなくて、自分で好きなように生きればいいと思っているから、娘はなんの義務感も持たずに済むということにあいなる。何々だからなにかしなければいけないというふうに考えることもない。これは親がそうであるから、たとえば人間関係で誰それさんがこういうことをしてくれたんだから、こっちもこうやらないといけない、とかふうに考えるのも苦手である。

さてそれでいいのか? というとこれはわたしにはよくわからないが、あまり義務感を強く感じるのはよろしくないとも思うし、かと言ってノー天気でも苦労するだろうとは思うが、まあ程度問題ということで、どの程度が良いかそれは娘が自分で考えるしかない。苦労して必死に働くサラリーマンが選択なくそうせざるを得なかったように、わたしも別に普通にしていたらこうなったというだけだ。

感謝の気持ちとかそれは教えようとして教えられるものでもないし、別に子供をだまして貧乏なフリもできないし、一番よくないのは豊かさを隠すことを教えて結果自分より豊かでない人間をどこか見下げる心持ちを育てることだと思っていた。感謝とか気配りを強要もしたくない。自分の中から生み出されるものだろう。

ということで娘は自分でよく考えて、親がどうだったからとか気にしないで自分がなりたい人間になれば良い。多少のまずい点は誰でもあるがそれを補正する素直な気持ちがあれば世間で次第に収まるところに収まっていくだろう。わたしの生き様は強烈だからそれは影響はあるだろうが、娘はどうやら先例に従うという気持ちはないようであるから、あとは娘の選択しだいである。自分で思うが人間という変わるものだ。今のわたしは若い頃とだいぶ考えかかたは違う。同じ部分ももちろんある。そうやって後天的に人間性を作り上げるからこそ人生は生きていておもしろい。この変わるということだけはどうも娘は自分で意識していると、いろんな会話から知れるので、そこは良かったと思っている。変わっていってこそおもしろいが、かと言ってそんな激しく変わるものでもないのだろう。まあその人次第だ。
関連記事
ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
自己紹介へ

Comments 0

There are no comments yet.

コメント投稿